長寿「きんさん」の息子も長寿 母から教わった長生きの秘訣 #ニュースその後 #令和の子
「俺も長く生きてみるかな」
そんなきんさんの大往生は2000年、107歳だった。自宅でいったん起床したが「眠てえで、もうちょっと寝てるわあ」と言って再び目を閉じた。30分後、そのまま息を引き取った。 「前日もテレビ局の取材を受けて、自分で風呂にも入った。最期はあんなふうに逝きたいね」。別れはさみしかったが、長く続いたフィーバーが終わることに、どこか安堵(あんど)するような気持ちもあったという。 自由に振る舞いながら親しまれた母を見て「俺も長く生きてみるかな」と思うようになった。おしゃれに精を出し始めたのは、それからだ。両手には三つの金色の指輪が光る。外出や趣味の写真にも忙しい。 「どこに行っても70代に見られる。60代って言われることもある」
若さ支える食い気と色気
しゃれっ気以外にも、長寿の秘訣(ひけつ)があるという。 14年、妻の菊枝さんが亡くなった。3年後、86歳で会社員時代の部下だったよし子さんと内縁になったが彼女も3年前に逝った。かつて母と同居した家に一人で暮らし、何でも自分でこなす。食事、洗濯、掃除。特に料理が楽しいという。食材は自分で買い、週に2、3回は好物のマイタケの天ぷらを揚げる。「食い気も大事だよ」 月に何度かは、80代の「ガールフレンド」と喫茶店で落ち合ってデートをする。「いつも服、買ってやるんだ」。最後の秘訣には「色気」を挙げた。 いつまでも若く見られたい。うまいものも口にしたいし色も失いたくない。そんな欲が日々の張りを生むと幸男さんは気付いた。長く生きていれば、思わぬ楽しみがある。母に教わったことだった。 きんさんの子で健在なのは、幸男さんだけになった。「120歳まで元気だったら、私にも取材、殺到するでしょう」。今も丈夫な白い歯を見せて、笑った。【春増翔太】
◇ きんさん死去の翌年の01年に108歳で亡くなったぎんさんには、5人の娘がいた。生後すぐに亡くなった次女以外の4人は、全員が90歳を過ぎても健康で、10年ほど前までは「長寿4姉妹」として雑誌やテレビにもよく出ていた。 親族らによると、唯一健在だった三女の津田千多代さんが、105歳になったばかりの昨年10月に天寿を全うしたという。16人いたきんさんぎんさんの子どもで存命なのは、幸男さんだけになった。
※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。