J3で月給10万「Jリーガーと呼ぶのは反対」 元選手が苦しんだ現実とイメージのギャップ【インタビュー】
心にあった危機感「何年もプレーしていたらセカンドキャリアに出遅れる」
「とにかく1年だけやって、それでダメだったら牛飼いの仕事に戻ろうと思っていました。でも、1年目で怪我をして、このままだと意味がないと思って、もう1年やったんです。福島で2年目を過ごして『もういいかな』と思えました。それまでサッカーしかしてきていなかったから、サッカー以外に何もないんですよね。日本代表クラスで活躍した選手なら、その後の指導者としてのキャリアもあるかもしれませんが、J3で何年もプレーしていたらセカンドキャリアに出遅れると思ったんです。だから、2年目のシーズンが終わる半年前くらいには『今季で引退しよう』と決めていました」 現在、JリーグはJ1からJ3まで各20クラブが参戦し、全60クラブで構成されている。だが、そこでプレーする選手の年俸には、大きなバラつきがある。年俸120万円にも満たない額でプレーしていた平氏は「しんどかったですよ。でも、そのことを周りの人は知らないし『Jリーガー』として扱われるんです。その現実と周囲とのイメージのギャップもキツかったですね。当時より今は選手の待遇も改善されたかもしれませんが、僕は個人的にJ3の選手たちまでも『Jリーガー』と呼ぶのは反対なんです」と語る。 結局、平氏がプロサッカー選手として活動したのは2013年から2018年までの6年間だった。「そんなに活躍できる選手ではありませんでしたけど、僕はサッカー選手になることができて良かったと思います。いろんな人と出会い、いろいろな話もできました。若い時とかは全然、人と話をすることもできませんでしたが、話もできるようになりました。最近は『夢先生』として、自分が住んでいる中学校や小学校に行って、話をしたり、サッカー体験をしてもらったり、そういう活動ができるのもサッカー選手をやっていたからだと思います」。 「夢先生」の活動にも報酬は出るが、平氏はその報酬でサッカーボールを購入して、後日、寄付をしに行くのだという。サッカーを辞めたくなるような時期も過ごした平氏だが、「子どもたちにサッカーをやってほしいですし、子どもたちに夢を持ってほしいなと思うので。引退して、仕事しかしていませんでしたが、プロになるまでサッカーをしてきたのに、地元に帰って来てサッカーのことを何もしないのは無責任すぎるなと思ったんです」と言う。そして「夢先生」以外にも日常的に地元のクラブチームのスポンサーや子どもたち向けのサッカー教室も行っている。 自身が育った地域、そしてサッカーへの恩返しを続けている平氏だが、現在は『牛飼い』としてセカンドキャリアを歩んでいる。次回では彼のセカンドキャリアに迫る。(次回に続く)
河合 拓 / Taku Kawai