死者を抱いて泣き叫ぶ人、がれきだらけの街…トルコ・シリア大地震、被災者が語る凄まじい惨状 復興は大幅遅れ、「難民」にもなれず
トルコ人のアリさん(28)=仮名=は2月、南部カフラマンマラシュの自宅で寝ていた時、突如激しい揺れに襲われた。とっさに近くにいた6歳の長女を守ろうと抱きしめた。3歳の次女を抱え上げた妻のナズさん(27)と一緒に外に出た。 街の様子は一変していた。建物は崩れ落ち、がれきの山に。アリさん宅も半壊し、車は上から落ちてきたブロックでひしゃげていた。周囲では多くの人が死者を抱き、泣き声を上げている。トルコ・シリア大地震は家、電気、水道などあらゆる生活のインフラを破壊した。被災地は復興が進まず、親族を頼って来日する人々がいる。ただ、それでも生活を立て直すことは難しい。ネックになっているのが入国時のビザだ。(共同通信=赤坂知美) ▽水も食料も電気もなく、水浸しのテントで眠った アリさんは地震の直後、急いで近くの村に住んでいる親族に電話した。だがつながらない。隣の村にある実家に行くと、父親の片足はブロックの下敷きになっていた。病院に搬送され治療を受けたが、片足は今も不自由なままだ。いとこが住んでいたアパートは崩れ落ちていた。いとこの行方はわからない。後になって、犠牲者2千人が安置された遺体置き場で対面した。親戚は30人近くが亡くなった。
マイナス10度の極寒の中、車の中で救助を待った。数日後にようやくテントに避難することができたが、電気も水も食料も十分に行き届かない。被災後、初めてシャワーを浴びることができたのは23日後だった。 一番苦労させられたのは雨。「水浸しになった床の上で寝なければならなかった」。地震から数カ月たっても復興は進まない。余震もやまず、そのたびにテントが揺れる。娘は小さな揺れが起こるたびに「地震、地震」と泣き叫んだ。 「ここでは暮らせない」。親戚が住み、かつて訪れたこともある日本へ逃れることを決意した。 ▽来日するトルコ国籍者が急増、地震影響か 出入国管理庁によると、トルコ国籍の入国者数の月平均は、17年が約1700人、18年が約1780人、19年が約2030人と、多くても2千人ほどだった。コロナ禍で大きく落ち込んでいたが、地震発生後は増加し、4月は3791人、5月は2465人、6月は3316人と、以前と比較しても大幅に増えている。新型コロナウイルス禍による渡航制限の緩和で旅行者が増加した一方、アリさんのような被災者が一定数含まれている可能性がある。