「受験少年院」「スパルタ」批判に熱血教師が激怒!「イナカの無名高校」が奇跡の東大合格第1号を出すまで
● とうとう誕生! 東大合格者第1号 1988年2月。職員室の朝は、新聞を開くバサバサという音でにぎやかに始まりました。大阪新聞「関西大学合格ベスト100」の掲載日。 「いやあ、惜しかったなあ」 「例年なら入ってたのになあ」 1位の清風(大阪)に始まり、ズラリと並ぶ進学校。100位に食い込むラインはこの年、31名。対して、西大和学園1期生の関大合格者数は22名。合格者20名という当初の目標を達成するも、この年の100位ボーダーラインには届きませんでした。 それでも、先生たちのほとんどは悔しがるより、むしろその結果に喜び、感慨深げです。 「それにしてもあいつら、ようやったわ」 「頑張った甲斐があったな」 「よし、あれやるか!」 のひと声で、手に手にビール瓶を持って教員用のシャワールームへ。そして「せーの」というかけ声とともに始まったのはビールかけでした。 泡まみれのまま始まった食堂での慰労会でも、教員たちの興奮はなかなか収まりません。 1期生の挑戦の結果は、予想以上のものでした。 関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学合わせて42名。 慶応大学、早稲田大学合わせて5名。 大阪大学、九州大学、神戸大学、筑波大学、広島大学、大阪市立大学などを含む国公立大学25名。 彼らの入学時の偏差値、進学への意欲を考えれば、まさに「奇跡」に等しい大健闘です。 ちなみに、登校拒否をしていたAくんは残念ながら1年目は合格ならず。しかし1浪した翌年、無事大学合格を果たしました。進学先は東京大学理科一類。 そう、Aくんこそ西大和学園の記念すべき東大合格者第1号なのです。 1期生たちの入試結果から、生徒を本気にさせ、きちんと学習時間を確保すればある程度の大学に入学できること、そして潜在能力の高い生徒は、より高い志望校にチャレンジさせても結果を出すことが可能だと分かりました。
田野瀬良太郎