天下の糸平とコメ相場対決 東株理事長就任、業界改革に挑む 大江卓(中)
法改正実現に貢献した大江 しかしその周辺では……
この法改正には全国の取引所や仲買人から一斉に讃辞が沸き起こり、感謝状が山を成すありさまだったという。この時、農商務省大臣後藤象二郎に銀製のコーヒースタンドが贈られ、次官の斉藤修一郎に金時計が贈られた。後刻、このことが野党のねらい撃ちに遭い、大臣、次官ともに辞任に追い込まれた。 この一件は「金時計1個で農商務次官のポストを棒に振った男」として後々まで語り継がれる。次官は昔も今も役人としては最高のポストである。斉藤は東大の第1期卒業生の1人で首席が鳩山和夫(衆議院議長、早大総長)で二番が小村寿太郎(外交官)だった。当時、取引所の監督に当たっていたのは農商務省で、斉藤はそこのナンバー1の事務次官であった。 上に大臣として後藤象二郎がいるが、斉藤の力量は大臣以上と称えられ、法改正には最大の権力を持っていた。大江を筆頭に業界サイドの陳情は斉藤に向けられたのは当然である。以下は木村毅著『財界よもやま史話』による。 斉藤は業界代表から法改正のお礼として金時計1個が贈られた。その時、斉藤は「こんなものを持って来たのですが、受け取って大丈夫ですかね」と後藤に相談した。「君の努力に対するお礼だから、かまわんさ。もらってやらなかったら、業者の方が、どうしていいか、かえって困るだろう」と後藤。 「後藤はざるで水を汲むような大ざっぱな男だから、別に気にもせず、受け取ることを勧めた。これがはしなくも議会で収賄問題として摘発されたので、斉藤は責任を痛感し辞表を出して、一生謹慎して、再び官界に立たなかった」 当時の混濁の世に一服の清涼剤となるエピソードではないか。斉藤はその後、中外商業新報(日本経済新聞)社長に就任、東京米穀取引所理事長に就任する。=敬称略 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>