綾野剛、『幽☆遊☆白書』撮影は「プレッシャーと共存」 青天の霹靂だったオファーの裏側
Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』が快進撃を見せている。週間グローバルトップ10のテレビ・非英語部門で1位を獲得(12月11日~17日)。日本をはじめ、アメリカ・カナダ・フランス・ドイツ・ブラジル・インド・香港・台湾などを含む世界92の国・地域でも「今日のシリーズTOP10」入りを記録した。 【写真】綾野剛インタビュー撮り下ろしカット(全5枚) 30年以上前に発表されて熱烈なファンを生み出した冨樫義博の大ヒットコミックを実写化して、世界的な成功に導くことができたのは快挙と言っていいだろう。実写化のハードルは限りなく高く、プレッシャーも大きかったはずだ。 クライマックスで主人公・浦飯幽助とラストバトルを繰り広げる戸愚呂弟を演じた綾野剛に、感じていたプレッシャー、現場の熱、今回体験した最新の技術などについて聞いた。 ■「情熱と熱狂が完成に導いた」 ーー制作期間5年の月日を経て『幽☆遊☆白書』が完成した今の気持ちを聞かせてください。 綾野剛(以下、綾野):『幽☆遊☆白書』に関わった全ての方々の情熱と熱狂が、完成に導いた。その一言に尽きます。撮影前の当時は、全部署がとてつもないプレッシャーと対峙していました。その中で、どのようにこの映像化不可能と言われた大名作漫画と向き合っていくか、このプレッシャーをどう乗り越えていくのかを全員がフレキシブルに考え続けました。 ーー綾野さん自身はプレッシャーをどのように受け止めていましたか? 綾野:「プレッシャーとチャレンジは紙一重」と考えていました。プレッシャーをポジティブに捉えたいというだけではなく、間違いなく我々はチャレンジしているとも感じていました。原作が発表されてから30年以上の時を経て、ようやく映像技術が『幽☆遊☆白書』の描く世界観に追いついた。数々の作り手、クリエイターが積み上げてきたこの基礎の上に僕たちは立たせてもらっています。我々にとってもみなさんにとっても『幽☆遊☆白書』以前と以後という一つの指針になる作品になったのは間違いないと思います。そんなほとばしる想いが溢れてくる作品です。 ーー先ほどプレッシャーの話をされていましたが、世界に通用するVFXアクション作品を送り出さなければいけないというプレッシャーか、多くのファンがいる原作を実写化するプレッシャーか、どちらをより強く感じていましたか? 綾野:もちろん前者のプレッシャーは常にありますが、作品に対する愛情の大きさが重要です。そういったことをしっかりと受け止めて、原作に敬意を持って作品に向き合っています。だから、後者のチャレンジが大きかったです。映像化はピアノと一緒で、音を一度鳴らしてしまったらもう絶対に戻ることはできない。瞬間の連続の積み立てなんです。その瞬間の連続に対する集中力が必要になりますし、その積み立てが正しいのかどうか瞬時に判断していかなければいけない。いつも迷わず選択をさせてもらえ、チューニングできたのは、やはり現場力だったと思います。孤独ではないと常に思わせてくれた現場。誰もがそれぞれの役割にチーム一丸で向き合ってくださいました。 ーー現場の力がプレッシャーから解放してくれたと。 綾野:結論から言うと、プレッシャーと共存です。プレッシャーゼロの作品はありません。だからこそ、その想いと共存し、チームで超えていけるのです。撮影の最中は熱狂と情熱の中でみんなが邁進していました。プレッシャーに萎縮するのではなく、プレッシャーをチャレンジに変換することによって生み出されるものと向き合い続けられました。0から1を生み出し、皆様に楽しんでいただく、皆様の日々をほんの少しでも彩れたら、という想いで我々は走っています。 ■青天の霹靂だった戸愚呂弟役のオファー ーー最初に戸愚呂弟をオファーされたときはどう思いましたか? 綾野:最初は、カフェトークな雰囲気でオファーされました。エグゼクティブ・プロデューサーの坂本(和隆)さんとはお付き合いも長いのですが、MTGルームにニコニコしながら入ってこられて、「すみません時間作っていただいて。ところで戸愚呂やりませんか?」と。「抹茶フラペチーノ飲みます?」みたいな感じで(笑)。 ーーそのときはどんな気持ちだったのでしょう? 綾野:青天の霹靂でした。言葉が出ない。語彙で表現できないような感情になりました。でも、映像化に挑戦される方々がいることに感銘を受けました。 『幽☆遊☆白書』キャラクター予告:戸愚呂弟編 - Netflix ーーたしかに。綾野さんに戸愚呂弟を演じてもらおうと想像した人たちがすごいと思います。 綾野:全てはイメージです。想像してきた方々がたくさんいるから、今、僕たちはこのような環境の中で生活ができています。『幽☆遊☆白書』を実写化しようと想像し、旗を持って走ろうとしている方々と一緒に走りたい。役者を続けている上で、とても大切にしている想いです。だから「自分も一緒に旗を持って走ります。頑張らせていただきます」とお伝えしました。 ■顔だけの芝居は「霊丸を撃つのと同じ」 ーーイメージを実現するための大きなチャレンジとして、ロサンゼルスでの撮影がありました。Scanline VFX社のEyeline Studiosで綾野さんの顔だけを何台ものカメラで撮影するボリュームキャプチャーという最新技術でしたが、これはどんな経験でしたか? 綾野:「なんて贅沢なんだろう」と思いました。普段、役によっては爪先まで意識を届かせなければいけない。ですが表情だけに集中できるわけですから。全身に分散することなく、たった一カ所に100パーセント集中していい。本当に興奮しました。早く挑戦したくて仕方がなかったです。霊丸を撃つのと同じで、幽助が指先にすべて意識を持っていったように、表情だけに集中しました。 ーー実際の撮影はいかがでしたか? 綾野:最高に楽しかったです。Scanline VFXは素晴らしいCGやVFXを作り出してくれましたが、それらは圧倒的な現場のアナログの積み立ての上にあります。たとえば、実際には一連の流れで10手のアクションは撮影できないんです。多くても3手までなので、カメラの位置を数センチ単位でずらしながら撮っていかなければならない。写真の枚数は1秒間に24枚あるわけですけど、それを100枚、200枚と積み立てていくことで、芝居とCGの共存を大切にしながらCGに見えなくなるぐらいまで追求していきました。だからこそScanline VFXの技術を存分に発揮できたのだと思います。顔だけの芝居はとても豊かでいい脳トレになりました。 ーー完成した戸愚呂弟の姿、そして作品全体については綾野さんご自身としてはどう感じましたか? 綾野:彼がなぜサングラスをしているのだろうと考えていました。本作にはその答えがあると思いました。眼だけは妖怪になれなかった。サングラスというフィルターを一つ挟むことで100%妖怪の状態になる。妖怪として生きていくことの覚悟と、揺らぎがサングラスに現れていると感じました。サングラスが取れて彼の一縷の人間力が見えてしまったとき、それが初めて人と向き合った瞬間だったのではないでしょうか。(戸愚呂を)人間として受け止めてくれた幽助の眼差しに、この作品はすべて集約されています。第1話から最終話までに彼のまなざしがどう変化していくのか、そしてその貫くまなざしを、ぜひ世界中のみなさんに見届けてほしいと思います。 ーー綾野さんの眼差しと北村さんのまなざしが交差して生まれたものもあると思います。 綾野:彼のまなざしが全てです。確かに相互関係は大切ですし、何かをシェアしたことでしか生まれない表情はあります。失うものがない強さと守るものがある強さ、どちらの強さもそうですが、シェアしたことでしか生まれない眼差しというのが、僕たちが1人で生きていけない理由に繋がっている。そういうメタファーがこの作品にはあると思います。本作を通じて、たくさんの仲間が増えていくことを願っています。
大山くまお