日本の「和歌」という文化は、じつはこんなにスゴかった…ほかの国の「詩」と違っているところ
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第八回)。
伝統化した漢詩
能の物語は、シテとワキと呼ばれるふたりの登場人物の会話から始まります。ふたりの会話は、最初は「詞」といわれる散文のセリフのやりとりで行われます。しかし、やがてその「詞」の中に「あら」とか「あふ(おお)」などの「嗟嘆」の辞が含まれ、同時に「詞」も韻文化します。さらに会話が進むと、ふたりの会話には節が付き、謡われます。「永歌」です。 そして、謡に合わせてシテは舞い始める。「知らず手の舞ひ、足の踏む」となるのです。 歌われ、舞われる和歌は、礼と同じく目に見えぬ神霊とのコミュニケーションツールだった。だからこそ『歌経標式』の「鬼神の幽情を感ぜしめ、天人の恋心を慰む」となるのです。 しかし、中国では詩や、詩を身体化したものとしての「礼」はやがて徳の一種となり、道徳化されます。中国の史書の初期のものである『春秋』は、礼や徳という視点で歴史を書いたものでした。詩や礼は史書の中に取り込まれていき、正史の伝統が生まれます。詩も礼も原初の身体性を失っていきます。 さらに『周礼』という経典において、礼の一形態として官僚組織をも作ることにより、さらに身体性から離れていきます。
身体性を失わなかった和歌
それに対して日本では「歌」はいつまでも身体性を失うことなく歌であり続けました。天地を動かし、鬼神をあわれと思わせるツールとしての和歌は、やがて男女の仲を和らげ、猛き武士の心をも慰める力を持ち、いよいよ強力な装置になったのです。 さて、そんな歌を集めた勅撰集ですが、その最初は漢詩文を集めたものでした。しかし、勅撰の漢詩文集は平安時代の『経国集』で終わり、それ以降は和歌を集めた歌集に取って代わられることになります。 漢詩文集の時代にも女性詩人はいました。しかし、漢字・漢文は男のものだといわれていた時代、女性詩人の作品は多くはありませんでした。 それが勅撰「和歌集」になったことで、女性歌人が一挙に増えたのです。天皇・上皇が命じた「勅撰」に、皇族でもない、また高級貴族でもない女性の作品が選ばれるのって、この時代にすごいことです。 勅撰が和歌集になることによって実現した女性歌人の活躍は、いまにつながる日本の文化を作ったといっても過言ではないし、このことは日本文化の特質を考える上でもとても重要なことだと思うのです。それはまたの機会に。 『「神」や「幽霊」をこの世に呼び出す…日本の「古典の登場人物」たちが「各地を放浪する」理由』(10月29日)へ続く
安田 登(能楽師)