19’センバツ龍谷大平安 名勝負選/4 愛知の雄に「名前負け」 /京都
<第91回選抜高校野球> 戦前のセンバツで平安中は8勝13敗。準決勝進出(1930、36年)が最高の成績で、負けても負けても立ち上がる中で歴史、伝統、実力が育まれていった感が強い。中でも大きな壁となったのが戦前だけで5回優勝した愛知勢で、4戦して1回も勝てなかった。 出場校に選抜旗が贈られるようになった1937年、第14回大会の準々決勝では、後にプロ野球で200勝投手となる野口を擁する中京商と対戦した。平安中・北川との投手戦が予想された。四回、相手の長打に失策などが絡み、一気に生還を許して先制され、五回も2死からミスの連続で追加点を奪われた。打線は変化球を主体とした野口の投球にてこずり、3安打で完封を許した。 守備力、打撃力に加え試合運びのうまさも評価されていたという平安中だったが「名前負け」した様子が想像される。それでもこうした試合経験の積み重ねが、戦前最後の夏の甲子園出場となった38年の初の全国制覇へとつながる。【矢倉健次】=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ◇第14回センバツ準々決勝(1937年4月1日) 平安中 000000000=0 00011000×=2 中京商 〔京都版〕