『不適切にもほどがある!』松尾潔「時代の功罪をフェアにジャッジ」と評価
「ちょっと古い考え」という指摘も?
根底に流れるものは、昭和への哀愁ですが、昭和あるあるだけで終わらせない。では令和はどうなんだ? という提起もあり、でもやっぱり最後は前向きなところで終わるんだろうし、終わってほしいなと思いながら見ています。もちろん手放しで褒めるばかりではありません。どちらの時代も完璧ではないですし。 阿部サダヲさん演じる主人公の小川市郎はシングルファーザー。第3話では娘の純子がお色気テレビ番組に高校生ながら出演するという場面があるんですが、「こんなスケベな番組に娘が出て欲しくない」っていう父親としての立場と、「そういう番組を見るのは大好きなんだよね」という男としての部分で葛藤するのが見どころになっていました。 そのときに「もし(テレビに出ているのが)自分の娘だったら」という立場に立つことが大切なんだって言っていましたね。ミュージカルシーンもそういうところが繰り返されて、みんなで合唱していましたけど、あれはフェミニズムに詳しい人からすると、もう既に古い考え方だっていう指摘もあるんですね。 つまり「自分の娘だったら」というその視点自体が、いわゆる「家父長制」の名残で、父親が娘とか息子を所有物のようにみなしている、そういう残り香があると。じゃあそういうときは、どうしたら良かったかっていうと「自分の家族だったら」という言い方だとギリギリセーフだったのかなと思ったりもします。
50代からでもアップデート可能というメッセージ
とはいえ、ドラマのストーリーの線で追っていくと、タイムスリップしたからといっていきなりコンプライアンス感が最新のところにアップデートすることの方が不自然なわけで、昭和の視点のまま令和に来てしまったって人が、昭和の常識と接点を見いだしていくところにリアリティがあるので、「自分の娘だったら」ぐらいの感じというのは、いい着地なのかなと思います。 今後の展開でも、ずっと市郎は成長していくのだろうと思います。50歳ぐらいという設定なのかな。なので、もう出来上がっちゃったおじさんみたいに見えますが「実は50代からでもアップデートできますよ」という宮藤さんのメッセージのように僕は捉えています。