警察が「酒鬼薔薇聖斗」を逮捕するまで――少年の情報を知るのは15人のみ、最後の事件は「久々の休み」のあとに起きた
「週末は休もう」その翌日に敦君はいなくなった
神戸連続児童殺傷事件は、連続通り魔事件の捜査が膠着(こうちゃく)している最中に淳君が行方不明になり、遺体で見つかるという経緯をたどった。連続通り魔事件では女性2人による犯人の目撃情報があったが、いずれも後ろ姿で他に有力な証拠はなく難航。深草も女児2人が襲われうち1人が死亡するという残忍な事件をどうやって打開するか苦心していたという。 連続通り魔事件の発生から2ヵ月以上が過ぎた5月23日の金曜日、目立った進展がなく捜査員の心身共に疲れている様子を見て取った深草は、県警の寮に酒を持ち込んで、手の空いている者は英気を養い、週末は休もうと提案した。深草は「そうしたらその翌日の24日に淳君がいなくなった」と話す。 そういった偶然も重なっていただけに、事件解決への思い入れはより強かったとみられる。少年の取り調べが始まって2時間ほどの午前10時前後には深草のもとに「淳君以外の事件は自供しました」と連絡が入る。昼すぎぐらいに「全部落ちました」と全面自供が伝えられると、深草は「本当にホッとした」と言う。捜査本部はこの日、淳君殺害事件で少年を逮捕し、発表する。行方不明から36日目の逮捕劇となった。 深草は連続児童殺傷事件について「あの職質は大ヒットだった。あれがなかったら捕まっていないか、解決までもっと時間がかかっていたと思う」とした上で「捜査はセンスと経験。とにかく現場を見ることでヒントが見つかる」と語った。
甲斐 竜一朗(共同通信編集委員)