なぜ『光る君へ』は大成功を収めたのか? 女性層から愛される大河ドラマになったワケ。稀有な魅力を徹底解説
平安時代の女性像に見る現代に通じるもの
男性には男だけのコミュニティがあるように、女性には女だけのコミュニティがある。 倫子の屋敷でしばしば催される姫たちの会は“女子会”と視聴者の間で表現されることもあった。話題は殿方や和歌、参加者の近況などさまざまだ。 このみやびやかな会では、姫たちがにこやかにほほえんでいるが、参加メンバーたちは本音と建前を巧みに使い分けているようにも見える。さらに、会の主宰である倫子には誰も逆らえない様子でもあった。姫たちの会の雰囲気に、仲良し女子グループ特有のヒエラルキーを感じたのは筆者だけではないだろう。この会は学びが多く、楽しそうではあるものの、気疲れしそうだ。 その他にも、ききょう(ファーストサマーウイカ)が抱く定子(高畑充希)への愛は、ファンが「推し」に抱く感情と重ねられるところがあった。 第15話「おごれる者たち」で定子に初対面したときのききょうのリアクションは、まるで推しと初めて出会ったときのファンのようだった。 本作には女性の心をときめかせたり、日常生活の一コマに重ねられたりするシーンが多々あった。姫たちが倫子を囲んで話に花を咲かせ、扇で顔を隠しながら微笑んでいたように、多くの女性ファンがSNSを通じて、本作のチャーミングな場面を肴に女子トークを楽しんでいた。 一方、言うまでもなく『光る君へ』の舞台である平安時代は、男尊女卑の価値観が根強かった。そして、本作に登場する女性たちの迷いや不安は現代女性も手に取るようにわかる。 とはいえ、平安時代は男尊女卑というよりも、男女の役割分担が明確だったという方が正しいのかもしれない。女性は政に参加できなかったものの、貴族女性には婿を取ったり子を産んだりして家を繁栄させるという役割、将来の国の担い手を育てるといった重要な役割を担っていた。また、女性も物書きとしての才能があれば正当に評価されていた。 紫式部、清少納言、赤染衛門、和泉式部、藤原道綱母など本名ではないものの女性として執筆しているが、近代以降、女性作家が社会的な批判を避けるために男性名を名乗ることを余儀なくされていた国は少なくない。その点、日本の平安時代の先進性にフォーカスが当てられた作品でもあったように思える。