「新しい歴史学」を読み解く
アジアの方が西洋諸国より豊かだった
もっとも、世界商品であったアジア産の綿布を本場インドより安く生産するためイギリスが蒸気機関などを使い機械化を図ったことは、とりもなおさず「それまではアジアの方が西洋諸国より豊かだった事実を示す」と指摘する。 明や清の帝国、ムガール帝国やオスマン帝国など、18世紀までの帝国は東側中心だった(だからこそ西洋諸国は富を求め大航海時代が始まった)。 19世紀は、イギリスのルールで世界が動いた「イギリス帝国の黄金時代」である(イギリスは前世紀にスコットランドを併合しグレートブリテン、連合王国となっていた)。 「19世紀前半にイギリス帝国は海を支配して自由貿易ネットワークを広げ“世界の工場”となりますね。ところが後半には、自国の農業や工業を切り捨てて、“世界の銀行家”へと転身を果たします。その理由は、1869年のスエズ運河開通やアメリカ大陸横断鉄道だった?」 本書では、インドやアメリカからの安い小麦の大量輸入、自治領オーストラリアからの羊毛や食肉の輸入などの影響が列挙される。 「自国でモノを作るより輸入した方が安価、という現実的な政策ですが、比較優位な部門に力を集中するという面もあります」 イギリス帝国は、公式植民地としてカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの自治領、それにインドや海峡植民地(マレーシア、シンガポール)などを抱えていた。非公式帝国には中国や南米諸国も含まれる。 それらの地域の公債や公共事業に投資すれば、莫大な利子や配当収入が得られたのだ。 「ロンドンのシティは、イングランド銀行が国債を引き受け18世紀から世界金融の中心でしたが、公式・非公式植民地の拡大で、ますます影響力が肥大したのです」
インドの親英エリート
20世紀に入るとアメリカが覇権国家となり、イギリス帝国は衰退し始めるが、興味深いのはインドとの関係である。1858年に直轄植民地としたが、独立までに約90年も要した。 「インドの独立が第2次大戦後の1947年まで延びたのは、親英エリートたちがいたせい?」 「インドに協力者(コラボレーター)がいたからですが、ここの表現は注意が必要です。これまでは英雄的民族主義者による独立、とされてきましたからね。けれど実際は、イギリスの“帝国臣民”になると多様な優遇策があった。だからインドのエリートたちは親英派が多く、独立まで時間がかかったのです」 独立を推進したガンディーやネルーも、当初はイギリス教育を受けた親英派だったのだ。 1944年、世界経済安定化のためブレトン・ウッズ協定が締結され、国際基軸通貨が英ポンドから米ドルへと変わった。 「それから現代へと到るわけですが、目下の重大事はブレグジット(EU離脱)?」 イギリスでは2016年から4人の首相を経て、21年1月より施行された。 「でも、コロナ禍もあって物価上昇や労働力不足など苦戦続きですね。23年7月調査では、国民の54%が否定的評価だとか?」 「EUを離脱しても地位は急には浮上しません。ですが当面ブレグジットは続くでしょう」 「ところで秋田さんは22年に登場したインド系のスナク首相に、かなり期待を寄せている?」 「グジャラート州出身の祖父がアフリカに渡り、ケニヤ生まれの父は帝国臣民、そして彼がイギリスでエリート官僚。スナク家はイギリス帝国のシステムをうまく活用してきました。現在のイギリスはアジア・太平洋戦略を掲げていますから、首相がインド系であれば大きなメリットになります。何しろインドは世界一の人口で経済成長著しく、しかもモディ首相はグローバル・サウスの代表でもあります。過去のインドとの歴史的交流や人的ネットワークを生かし、イギリスがある程度の復興を図ることは可能だと思っています」 旧覇権国家イギリスは、したたかだ。その軌跡から、日本が学べることは何かないのだろうか? 「うーん、残念ながら難しいですね。イギリス人なら家族が世界各地にいるのは当り前、国際変化に対応するメンタリティがそもそも違います。それと英語、イギリスの言葉は今なお世界共通語ですから」
足立倫行