なぜソフトB“熱男”松田宣浩は「40歳まで4年契約」の球団提示を断ったのか…裏に最年長Jリーガーカズに学ぶ闘争心
「バレンティンは日本人扱いなので3人野手を使うでしょう。えぐい打線ですね。グラシアルの三塁起用? それは開幕してみないとわからない。外されたら、そこで割り切るだけ。人との勝負ではなく自分との勝負です。いつでも危機感の中でチャンスをつかんできた。こういうときにこそ強い選手でありたいのです」 結果を残し続ければ、おのずと工藤監督の選択肢からグラシアルの三塁起用構想は消えるだろう。 「世代交代」、「ポスト松田」という言葉を聞くと反骨心に火が付く。 「ポスト松田、世代交代という言葉を目にしたり耳にしたりすると、正直、むかつきます(笑)。毎年、勝負して勝っているぞ!という自負があり、そこがプロとアマの違いなんです。高校なら3年、大学なら4年で人が入れ替わりますが、プロは36歳の僕が18歳で入ってくる新人と勝負する世界。技術社会であり結果社会。負けてたまるか、の反抗心があるからできているんです」 そして今キャンプでは、もうひとつ大きなモチベーションがある。 シーズンが中断される7月に東京五輪代表として夢舞台に立つことだ。昨年、初優勝を遂げたプレミア12では、28人の代表に選ばれ、打率1割台で、決勝の韓国戦ではスタメンを外されたが、ベンチの先頭に立って大声でチームを鼓舞。大会終了後、稲葉篤紀監督が、「マッチに助けられた」と発言した。 「稲葉ジャパンになって一度も呼ばれず、”もう世代交代か、侍は引退だなあ”とあきらめていた。それがプレミアに選んでいただき、結果は出せず、決勝はスタメンを外れてベンチにいたが、声を出した韓国戦が一番楽しかった。こんな幸せなことはない。過去、WBC2大会とプレミアの国際試合は、すべてベスト4止まりで決勝に上がったことはなかった。高みに上ったことがなかったので本当に嬉しかったし、あの世界一の体験が野球人としてのモチベーションを高めてくれた。あそこにいなければ東京五輪の可能性はゼロだし、今、キャンプを前に東京五輪は語れないでしょう」 松田にとって五輪の思い出は、2000年のシドニー五輪の女子マラソン高橋尚子の金メダルであり、2008年から五輪3連覇したウサイン・ボルトの人間離れした速さだという。だが、プレミア12の28人から五輪では24人に登録メンバーが絞られ、チームリーダーとしての存在感はピカイチでも打てないことには松田も厳しい立場に立たされる。 「4、5、6月の結果がすべて。現段階では誰にでもチャンスがあると思うんです。開幕から集中したい。前半にぶっ倒れるくらいの気持ちでやりたい。ぶっ倒れるくらいやって、そこで結果が残せれば、後半のチームへの貢献にもつながってくると思う。五輪までチーム的にも個人的にもトップを走って五輪へいきたい」 熱男の2020年が2月1日の宮崎から始まる。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)