メールの「ごはん行きましょうね」は社交辞令?春の訪れとともに人づき合いで思うこと
今その人に会えば、今の喜びがあるはず
「また今度ご飯行きましょうね」 ほど、果たされぬ約束はない。しかも私達はみんな確信犯だ。 自分は会いたいなと思っていても、相手がどう思っているかわからないもの…というのは言い訳で、忙殺される日々の中で消えてしまっているだけなんだと思う。 特に、久々となると色んな意味で勇気がいるから後回しにしがちだ。会わなくても支障はないし、思い出の中だけで存在する方がいい関係だってあるだろう。 でも、それは会ってないから思うだけで、今会えば今の喜びがあるに違いない。その逆を恐れて、一歩踏み出せずにいるのかもしれない。 ご近所さんはたくさんいるけど、立ち話以上に親しくなったのは彼女だけだった。それは、社交辞令だったかもしれない言葉を、終わらせなかった彼女の行動力の賜物だ。 子どもの頃なら、今日会ったら明日も明後日も、約束なしで遊んで約束なしに友達になっていた。温かくなると、あの子元気かなあと思い出す顔がある。 本連載をまとめた『暮らしっく』(扶桑社刊)も発売中。
高橋久美子