かかしが「伊藤博文」→「渋沢栄一」に モチーフの変更はなぜ?「…が好きではなかった」農家の思い
実業家渋沢栄一のかかしが新登場
自作のかかしを通して上田藩ゆかりの人物を紹介している、長野県上田市古里の農業飯田きみ子さん(74)が、50体近いコレクションのうち2体を造り替えた。 【写真】かかしを作っている飯田きみ子さん
渋沢に魅了された作者
新たに登場させたのは、実業家渋沢栄一(1840~1931年)と、上田藩士から宮内省の官吏となり1884年没と伝わる桜井純造。これらを含む20体を5月末までの土・日曜、上田城跡公園内の「赤松小三郎記念館」入り口に並べる。
飯田さんは、「かかしが呼び水となり、子どもたちが幕末の偉人に興味を持ってくれたらいい」と期待を込めた。
上田市出身の歴史学者関良基さん(拓殖大政経学部教授)が近著「江戸の憲法構想」で、渋沢が赤松を「日本で議会政治論を唱えた先駆者」と紹介。それを知った飯田さんは渋沢に魅せられた。
実は伊藤博文は…
伊藤博文のかかしに手を加えた。亡き夫、正人さんの礼服を着せ、渋沢のかかしにした。伊藤について「(1863年に)英国公使館を焼き打ちにするなど手段を選ばない姿勢が好きでなかった」と飯田さん。桜井は、赤松の弟子で薩摩藩士の野津道貫(1841~1908年)のかかしをリメークした。
肥料の入っていたポリ袋の裏地に「解説」を書く
20体のかかしには、いずれも解説をぶら下げている。肥料の入っていたポリ袋の裏地に油性ペンで書いた。内容は飯田さんが本やインターネットで調べた。渋沢は「経済界のリーダーとして多忙ななか実証的歴史書の編さんに心血を注いだ」、桜井に関しては「吉田松陰と親交があった」などと紹介している。
展示は18、19、25、26日の午前11時~午後3時。