「めんこ(面子)」遊びで懐かしむ、昭和時代の"真剣勝負"に臨んだ少年たち
生まれて初めての"真剣勝負"体験だった。「めんこ」遊びである。何せ、勝負に負けたら、自分の持ち札を相手に奪われてしまうのだから、真剣にならざるを得なかった。
「めんこ」は明治時代
「めんこ」は、漢字では「面子」と書く。語源は「小さな面」。厚紙を使った「紙めんこ」が誕生したのは、明治時代の後半である。ボール紙を大量生産することが可能になったという時代背景の中、長方形や丸い形の「めんこ」があった。「めんこ」は主に関東地方の呼び名であり、名古屋地区では「しょーや」、関西地区では「べったん」と呼ばれた。その意味では、地域色が強い遊びでもある。
どんなルールだった?
最もポピュラーな遊び方は「起こし」と呼ばれるものである。地面に「めんこ」を置く。その持ち主でない別の人が、その近くの地面に自分の「めんこ」を叩きつける。風圧によって、地面に置かれた「めんこ」が裏返ったら、その「めんこ」は叩きつけた人のものになる。すなわち"奪われる"のである。そんな取り合いゲームだったため、教育上の問題からか、小学校には持っていけなかった。ひたすら、授業が終わってから、空き地や公園で「めんこ」を楽しんだ。
ブロマイドとしての魅力
「めんこ」の魅力は、その表面に、様々な絵や写真が描かれていることだった。スポーツ選手では、プロ野球の王貞治や長嶋茂雄、大相撲の大鵬や柏戸。時代劇では、旗本退屈男や鞍馬天狗、テレビ番組『てなもんや三度笠』の藤田まことに『とんま天狗』の大村崑も人気だった。黄金バット、月光仮面、快傑ハリマオもあったし、やがてウルトラマンや仮面ライダーも登場するなど、いわゆるヒーローたちの「ブロマイド」的な存在だった。令和の現代ならば、大谷翔平選手だろうか。そこには"コレクション"という魅力もあった。それだけに、簡単に奪われるわけにはいかなかった。大切にしていた「めんこ」を取られた時のショックは計り知れない。次の対戦で、相手がそれを場に出してこなければ、二度と取り戻すチャンスもないからだった。