「怪しい投資話」に乗ってしまう人に「決定的に足りないもの」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
脱・堕落論:退屈しのぎは自分で創る
本当に必要なのは、欲しいものは自分で作ってしまう、日々の生活や仕事の中に楽しさを見出す、ということだろう。 たとえば普段の仕事自体を「問題解決ゲーム」とみなして、いかにすれば顧客を創造・獲得できるのか考えてみる。あるいは難しい仕事をいかに短時間で効率よく覚えられるか挑戦する。苦手な上司・同僚とどうすれば仲良くなれるのかさまざまな施策を実験してみる、などだ。 私もまた、とある大組織の末端構成員だったときには「どうやったら自分を心底嫌っている上司と仲良くなれるか」をテーマに自分なりの問題解決ゲームを楽しんでいた。すると当初は私を嫌って無理難題の数々を押し付けてきた上司が、最後にはめでたく「ちゃんと仲良くするから、もう俺のことは放っておいてくれ」と懇願してくるまでになった。 仕事を問題解決ゲームとみなして難問を解く手法を学んでいけば、仕事自体が気晴らしと退屈しのぎに早変わりする(かもしれない)。 ここまで読んで「そんなの無理」とお怒りの方は、まだまだ経営の考え方の理解が不十分だ。「そんなの無理」ならどのような手ならば仕事自体を楽しめるようになるのか考えて、よりよい策を生み出し続けるのが経営である。 仕事を楽しめる状況を創り出すことで、行事、パチンコ、居酒屋、タバコ等々に浪費せずに済むかもしれない。あるいは仕事を楽しむという方向性でなくても、お金がかからない行事を企画する、家で居酒屋風の食事を作ってみる、スマートフォンを眺める代わりに図書館で借りた本を読むといった手もあるかもしれない(とはいえ出版・書店業界を維持していくためにもこの本は書店で買っていただく方が望ましい)。 いずれにしても、こうした工夫によって、働かないから退屈→退屈だから浪費といった貧乏へと向かう螺旋階段を軌道修正できるかもしれない。そして、お金、時間、知識、信頼の収支のアンバランスを是正できれば、さらなる悲劇を避けることもできる。 たとえば、科学的な知識を全然信じないのに、株の上がり下がりを百発百中で科学的に的中させると評判の「先生」なる人物を信じこんでしまう人がいる。最近はSNSで勝手にこうした人物を囲むグループに追加されたりする。先生なる人物は、不思議なことに有名大学の教授や証券会社の役員と偶然同じ名前の「ペンネーム」を使用していることが多い。 私の場合、こうしたグループに勝手に追加されると「これは詐欺である可能性が極めて高い」という指摘を理路整然とおこなう。だが、いつの間にかグループを退会させられており、誰もいないのに一人で論説していることばかりだ(現実と同じだ)。 こうした怪しげな先生の信者になって投資にのめりこむ人は「株価の上下は乱数だから、いくら勉強しても予測はできないのではないか」などといった頭の固い話には耳を貸さない。世の中にはインサイダー取引もあるのだし、企業価値を長期で予測するファンダメンタル分析もあるのだからと突っぱねる。 これらの反論にも一理はあるのだが、重要なインサイダー情報や高度な企業価値分析情報がSNSの(しかも知らない人から突然招待された)グループという機密保持力皆無のネットワークで回ってくるわけがないということまでは頭が回らなくなるらしい。 こうした人たちも、お金に困っておらず、情報を精査する時間があり、信頼できる人たちに知識を借りられれば、洗脳状態から脱することもできるだろう。 このように、貧乏がもたらす悲喜劇は誰にでも突然やってくる。 貧困は社会問題だが(したがって政治の問題だが)、貧乏は個々人の問題として経営できる部分があることを知っておくべきだろう。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)