「たくさんの人に愛される俳優でなければいけない」山田裕貴『ジョーカー』で共感した思い:インタビュー
俳優の山田裕貴が、公開中の映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(以下、『ジョーカー2』)の日本語吹替キャストとして参加。法廷でジョーカーを追い詰めるハービーを演じる。映画『ジョーカー2』は、2019年に公開され社会現象になった『ジョーカー』の続編。前作に引き続きトッド・フィリップス氏が監督を務め、アーサー・フレック/ジョーカー役もホアキン・フェニックスが続投。心優しき男が、ヴィラン・ジョーカーとして社会を震撼させたその後を描く。そして、本作の鍵を握るキャラクターとして、ジョーカーに迫る謎の女リーをレディー・ガガが演じる。劇中では彼女の歌声も存分に楽しめる。インタビューでは、『ジョーカー』シリーズの大ファンだという山田裕貴に、ジョーカーへの深い共感から、悔しさを糧にした俳優としての成長、リアルを追求する芝居へのこだわりについて話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】 ■『ジョーカー』を観て、自分はそういう人間だったんだと思ってしまった ――『ジョーカー2』の日本語吹替キャストに選ばれた時の心境はどうでしたか。 すごく嬉しかったです。でも、「なぜ自分が?」と思い、マネージャーさんに理由を聞いたら、ワーナーさんが『ULTRAMAN: RISING』の吹替を聞いて、『ジョーカー2』もお願いしたいと言ってくださったみたいなんです。本作に携われることももちろんですが、僕の声を聞いていただいてオファーをいただけたことがすごく嬉しかったです。もし僕の『ジョーカー』好きという点だけだったら、素直に喜べなかったんじゃないかと思います。好きだからこそ、声を認めてくださって、仲間に入れていただけたことが一番嬉しかったです。 ――さて、映画『ジョーカー』ファンの山田さん、この作品のお気に入りポイントはどこですか。 ジョーカーと自分が重なった部分があって、共感してはいけないかもしれませんが、「あれ、仲間じゃん?」と思ったのがハマった理由です。ちょっと前まで誰も僕を見ていなかった。存在しているかすらわからない、ということを考えたことがあったんです。自分がどれだけお芝居を頑張っていたとしても見てもらえなければ、それは存在していないのと一緒なんだって。 ――深いですね。 例えば1km先で木からリンゴが落ちたとしても、それが本当に存在しているかどうかなんてわからないじゃないですか。それを俳優に例えると僕がどれだけお芝居をやっていようが興味を持ってもらえなければ、その人にとっては関係ないことになると思うんです。もちろん僕を応援してくれている人はいらっしゃいますし、その方たちは観てくれていますが、僕がいま巻き込まなければいけないのは、山田裕貴に興味持っていない人たちです。映画館やテレビの前で向き合ってもらうことをやっていかなければダメだなと。そうしないと携わった作品が報われないと考えてしまうんです。作品を共にした監督、キャスト、スタッフのみんなで時間を費やしてその作品に向き合ったのに、報われないのが嫌なんです。 ――葛藤があったんですね。 でも、反応があったらあったで、「ちょっと前まで僕のことなんて全然知らなかったくせに」とか思っちゃう部分もあるんですよね(笑)。 ――あはは(笑)。 僕を知っていただくこと自体もちろん嬉しいのですが、そういった自分がいるのも確かで、ジョーカーのような自分もいます。苛立ちとか悔しいという感情を自分の中だけで抑え込むことができなかったら、このまま自分もジョーカーと同じようになってしまうと思いました。その矛先が他人に向いてしまったらジョーカーと一緒なんですよね。僕は『ジョーカー』を観て、僕ってそういう人間だったんだと思ってしまった。でもそれはなぜなんだろう? と考えると、愛されたいからなんです。たくさんの人に自分を見てもらう、たくさんの人に愛される俳優でなければいけないと。 ――ジョーカーのようなことも他人事ではない。 やっぱり両親や地元の友達が喜ぶのはそういった人間かなと僕は思っているんです。だからこそ、そうならなきゃいけないのに、そうなれていないから葛藤が生まれる。自分がなぜこのような人生になっているんだと思い、自分とジョーカーが重なりました。現実にそうやって生きている人たちがたくさんいるから、ジョーカーに共感する人、魅力を感じる人もいる。そこがこの作品の怖さであり、魅力だと思っています。 ■「今のお前、大嫌い」と怒られた ――山田さんは悔しさみたいなものが活動の原動力になっている? むしろそれしかなかったです。ダークサイドにいるような人間だったので(笑)。当時は本当に性格が悪かったと思います。自分の今の気持ちと考えを友人に話したことがあったのですが、「今のお前、大嫌い」と強く怒られて、その考えを改めました。反骨心って重要だったりすると思います。それが外に向いてしまうのではなく、自分に向けて人のせいにしないということが大切だなと。本作で人のせいにしない選択をとったアーサーは、初めて自分を認めた瞬間だったと思います。 ――そこが前作との大きな変化ですよね。 よくこんな人間の奥底にある鬱屈した感情を、ジョーカーというキャラクターに乗せて作品にできたなと思いました。何でこんな人生を生きなきゃいけないんだ、と思いながら生きている人達ってけっこういると感じていて、そういう人たちはジョーカーのようになりうる可能性があると思っています。人間の欲深さ、愛されたいという承認欲求が原因なんです。だからこの作品に対して賛否が生まれ、「ジョーカーのようになってはいけない」という人たちと、「ジョーカーの気持ちがわかる」という人たちで、争うといった構図が発生するなと。そうやってジョーカーは作られていくと思うので、怖い映画だと思います。 ――ところで山田さんはご自身の声をどのように分析されていますか。 周りから特徴のある声だとよく言われます。でも僕は34年間この声で過ごしてきているので、特徴的なのかどうかわからなくて。 ――自分自身の声と向き合った経験はありますか。 デビュー作が『海賊戦隊ゴーカイジャー』だったので、そのときにアフレコも経験したのですが、1年間試したことはたくさんありました。他にもいくつか声の仕事やらせていただいたので、自分の声はいつも気にしていました。 ――どんなところを気にされていたのでしょうか。 何にでも本物の音ってあると思うんです。例えば、怒っている、笑っている、泣いているときの声や音というのは嘘が出やすい、芝居くさくなってしまうものだと思っています。感覚的に「あっ、今の嘘っぽい」とすぐわかります。その嘘臭さをどれだけなくせるのか、いつ何時でも本当に出ている音だと思わせたいと考えてきました。 声のお仕事以外でも、今の音、嘘っぽく聞こえていたら嫌だなというのが、僕がお芝居をする中でも気にしている部分です。リアルな喋り、間とかテンポ感というものは日常から全て勉強できます。日常の中でそういったものを常に分析していました。 ――最後に『ジョーカー2』を楽しみにされている方へメッセージをお願いします。 一概に「ジョーカーってこうだよね」と断定できるものはないと思います。何者かと言われたらただの人間とも言えるし、ジョーカーはみんなが作り上げたものだとも言える。アーサーはジョーカーになろうとなったわけではないかもしれないし、いろいろな見方ができると思います。リー(演・レディー・ガガ)のように、ジョーカーには興味あるけど、アーサーには興味がない、とはっきり言えてしまう人もいる世の中だと思います。例えば、ホームランを打ちまくって、バンバン三振をとる野球選手には興味があるけど、活躍しない選手には興味を示さないみたいな。でも、本質を見るにはその人の人間性、どういう生い立ちだったかなど、そこまで知って初めてその人を「愛している」となると思います。 とはいえ、僕が思っていることすらも正解ではないですし、「結果として何だったんだろう?」と考えている時点でジョーカーの思うツボだと思います。自分の中でジョーカーが生き続けているということなので、もし心の綺麗な人がこの作品を見たらどう感じるのか、いろいろな人に観ていただきたいです。本作のどんなところでみんなが盛り上がって、どう語られていくのか楽しみです。 (おわり)