競馬芸人・キャプテン渡辺の葛藤「“芸人”を名乗っておきながら、レースの予想しかしていない」
売れない頃、ギャンブル青春時代
今もなお、キャプテン渡辺の笑いと仕事の根幹となっている「ギャンブル」。彼が、ギャンブルをネタにした笑いを追い求めようとしたのは、おおよそ13年前にさかのぼる。 「僕が前に所属していたトリオが解散直前のころ、競輪小僧っていう芸人がいたんです。彼は当時吉本所属で芸人としては全く売れていなかったものの、フリーなら食っていけるレベルの競輪の仕事をもらっていたんです。 そうしたらある日、当時の相方の松本りんす(現:だーりんず)が、『お前、海物語のサムの恰好でネタやってみれば?』と言ってきたんです。パチンコ打つ人間で、『海物語』を知らない人間は誰一人いない。サムのネタをやれば、パチンコの営業が来るんじゃないか?って。そうこうしていたら組んでいたトリオが解散しピンになったので、サムの格好で“ギャンブルクズあるある”をやるようになって。そこからすべてが始まりました。僕がネタにしてきたパチンコ話は、僕が見てきたものと実体験そのもの。一切脚色していません」 当時の自身のパチンコ事情について話が及ぶと、思わず目を細めた。 「昔は朝5時から並んで整理券をもらって、開店から閉店までいる生活が当たり前でした。設定の札が台に刺さっていたりモーニングがあったりと、楽しくなるようなことがたくさんあったんですよね。しかも当たれば、コインにせよ玉にせよ、お金の代わりが出てきて、それが目の前にドン!と積まれていく。若いときに、ああした経験すれば、それは沼にハマっていきますよ。もう毎日、パチスロのことしか考えられない状況。完全に狂っていましたね」 特に全盛期に打っていた4号機への想い入れは相当に深い。 「4号機は何せスピード感が素晴らしかった。『北斗の拳』は死ぬほど打ちましたし、『吉宗』は短時間で儲けさせてもらった。どれもゲーム性が素晴らしく、KYORAKUさんのキュインキュインキュイン!という音は常に脳内を駆け巡っていて……もう毎日台に座るだけで、脳がしびれる日々でしたね。何よりこの頃は、並ぶという行為そのものが楽しかった、友だちと並んで、雑誌見て台の挙動を調べながら設定6を引く自分を夢見たりしてね。あの瞬間に集約されますね、僕にとってのパチンコ・パチスロは」 ある種、渡辺青年の青春であり、今のキャリアの礎を作り出したパチンコだが、今では「面白みを感じなくなった」と、完全に足が遠のいた。 「この前、久々にスマスロで復活した『北斗の拳』は懐かしくて、1回だけ打ちましたが、それ以降は全然。面白さもうま味もありませんからねえ……。とはいえ、仮に今も4号機が稼働していたら、今も打ち続け、仕事もせず借金しながら朝から晩までパチスロ漬けの完全な廃人だったはず。4号機がなくなって本当に良かった(笑)」
田口 俊輔