B'z 松本孝弘や影山ヒロノブらに影響 ジョージ紫&Chris、日本HR/HMシーン黎明期を生きた紫の現在
1970年に沖縄にて結成されたHR/HMバンド 紫が、12月17日に恵比寿 The Garden Hallにて『MURASAKI CONCERT TOUR:TIMELESS ~混迷の時代を超えろ』東京公演を開催する。 【画像】紫(ジョージ紫&Chris)インタビュー撮り下ろし 2023年8月には7年ぶりのスタジオアルバム『TIMELESS』をリリースし、日比谷野外音楽堂での『再現1977~日本のロックの夜明け前~』に出演するなど精力的に活動。アルバムタイトル“TIMELESS”の通り、時代を超えたロックスピリットをファンに届けている。 リアルサウンドでは、ジョージ紫(Key)とChris(Ba)にインタビュー。日本におけるHR/HMシーンの黎明期を歩んできた紫のキャリアをはじめ、『TIMELESS』制作とリリース以降の活動について話を聞いた。(編集部) 1978年で一度解散したからこそ生まれた未来が今(ジョージ紫) ジョージ紫 ーージョージさんが紫を始めた1970年前後の沖縄の音楽シーンは、どういう雰囲気だったんでしょう? ジョージ紫(以下、ジョージ):当時はベトナム戦争があって、沖縄には多くのアメリカ兵が駐留していてベトナムに飛んでいったりしたんですけど、コザ……今の沖縄市ですけど、中部から北部、南部あたりに繁華街があって米兵たちで賑わっていました。そういう場所にバーやクラブがたくさんあって、60年代初頭はジャズバンドもいたと思うんですけど、60年代中盤からはロックバンドが増えていって、フィリピンや韓国から来たバンド、地元の米兵が作ったバンドがよく演奏していたんです。そういう需要もあり、かつ学校の先生よりも給料が高いということで、地元の若者もそういうバンドをどんどん始めて小規模なバンドブームのようなものが起こり、僕らもそんな環境の中でバンドを始めました。 ーー紫のルーツにはDeep Purpleという大きな存在があると思いますが、どういう流れを経てバンドとしてのオリジナリティが確立されていったんでしょう? ジョージ:1975年に『8・8ロック・デー』に出演した頃までの、それ以前の5年くらいはカバー曲ばかりを演奏していて。それは、米兵たちからのリクエストに応えていたからなんですが、Deep PurpleやSantana、Led Zeppelin、Pink Floyd、Vanilla Fudgeなどいろいろカバーすることでそれぞれテクニックを磨いていたんです。そんな中、1972年に沖縄が日本に復帰してから、いろんな日本の音楽評論家たちが沖縄に来て現地のバンドを目にした。そして、彼らの書いた記事が音楽雑誌や新聞に載り、いろんなレコード会社の人たちの目に止まって、彼らは沖縄にスカウトに来るようになるわけです。僕たちのところにもいろんなレコード会社の人たちが来ましたが、中にはアイドルのバックで演奏してからデビューさせようとしたり、日本語で歌うことを条件にしてきたところもありました。それはそれで悪いことだとは思いませんが、自分たちがやりたいことをやらせてもらえるという点で選んだのが徳間音工(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)。米兵に向けてもそうですが、世界に向けても英語で発信することで海外でも受け入れられると思っていたので。 ーーなるほど。 ジョージ:ちょっと話題はズレますけど、実は1978年に解散する前に、スウェーデンのレーベルが徳間と提携して紫の全作品を向こうで発売していて。当時、すでに紫はスウェーデンのシーンではそこそこ浸透していたようなんです。そこからだいぶ時間が飛びますけど、僕が数年前にFacebookを一般公開したとき、最初のメッセージはスウェーデンの方からで、紫のアルバムがスウェーデンで発売された当時から聴いてくれているファンだったんです。彼とはずっと交流が続いていたんですが、今年の8月にメールが届いて。『Time To Rock Festival』という現地のフェスの主催者に紫のことを話したら、その主催者も紫のレコードを持っているくらいのファンだとわかって、そこから「来年(2024年)の『Time To Rock Festival』に出演してくれないか?」という話になって、来年のスケジュールが決定したんです。1978年当時もヨーロッパツアーの話がレコード会社の中で出ていたらしいんですが、巡り巡って今のタイミングに海外でライブできるようになったことに、いろんな縁を感じています。 Chris:だいぶ質問から脱線しちゃったね(笑)。僕の視点で答えをまとめさせてもらうと、英語で歌うことがまず主軸にあり、それを沖縄という土地で続けてきたことがオリジナリティ確立に役立ったと。あと、普通のバンドって鍵盤(キーボーディスト)がいると、大抵はギタリストはひとりじゃないですか。紫の場合、鍵盤がいるのにツインギター編成という構成がレアだと思うんですよね。そこも、紫のオリジナリティ確立にもつながっているんじゃないかな。 ジョージ:デビュー前はThe Allman Brothers Bandのカバーもやっていたので、ツインギター編成は重要だったので。ごめんね、話があちこちに行ってしまって(笑)。 Chris:きっと、質問に対する答えはこれだと思います(笑)。 ーーありがとうございます(笑)。おっしゃるように、確かに鍵盤を軸に置いたバンドの場合、ツインギター編成って少ないですものね。そういう意味では、初期の代表曲「Double Dealing Woman」のイントロで聴けるツインリードギターはこのバンドの個性そのものなんですね。その曲が収録された1stアルバム『MURASAKI』がリリースされたのが1976年4月。日本ではロック自体、まだメインストリームの音楽ではなかったと思います。 ジョージ:そうですね。その少し前には外道とかフラワー・トラベリン・バンドもいたし、キャロルのようなバンドもいましたけど、それ以前に「英語で歌うロックバンド」は日本では売れないと言われていたようで。レコード会社もそれをわかっていて僕たちと契約したんですが、周りの予想を裏切って当時3万枚とか4万枚とか売れた。その後、CharさんやBOW WOW(現・BOWWOW G2)と一緒に『NEW WAVE CONCERT』で全国を回り、最後には日本武道館でもライブができたので、ちょうど時代の変わり目だったのかもしれませんね。 ーーハードロック/ヘヴィメタルに関しても、シーンが本格化するのはLOUDNESSがデビューした1981年以降なので、1976年からの数年間は黎明期だったのかもしれませんね。 ジョージ:紫が解散したあとのことなので、もうちょっと続けられたらよかったですけどね(笑)。でも、LOUDNESSのメンバーや(LOUDNESSの前身バンド・LAZYのフロントマン)影山ヒロノブさんなどは高校生の頃に『8・8ロック・デー』を観ているんですよね。その影響で彼らもバンドを始めて、その後のLOUDNESSにつながっていくので。B'zの松本孝弘さんもうちの(比嘉)清正(Gt)に影響を受けていると言っていて、今でも交流がありますし。続いたら続いたで別の未来があったでしょうけど、1978年で一度解散したからこそ生まれた未来が今なので、結果としてはよかったのかもしれませんね。 ーー僕が紫の存在を知ったのが1980年代末から90年代前半にかけて、音楽仲間の間で「伝説のバンド」として話題に上がったことがきっかけでした。当時の紫は解散状態で、今のように音源を手軽に楽しめるという状況でもありませんでした。 Chris:今はこうやってバンドに関わっていますけど、僕は1979年生まれなので、沖縄でも世代的な状況は一緒でしたよ。 ーーChrisさんの世代の間では、紫の存在はどう語られていたんですか? Chris:もちろん親が知っていれば名前は聞いたことがあったと思うんです。僕の場合は、自分たち世代のバンドブームの頃にジョージさんの息子さんたちもバンドを始めて、僕も一緒にバンドを組んでいたことがあったんですけど、その延長線上に紫がいたんです。 ーー紫は1978年以降も何度か復活~活動停止を繰り返し、2007年にChrisさんとボーカルのJJさんが加入し、現在まで同じ編成で活動が続いています。 Chris:もう16年になりますね。50年以上にわたる紫の歴史においていろんな人が入れ替わり立ち替わりしていたはずなんですけど、今のラインナップが一番長いんですよ。 ーー現編成がここまで長く続いている秘訣は、何かあるんでしょうか? Chris:先輩方がいい意味で歳を取ったのも大きいんじゃないですかね(笑)。ただ、クラブで毎日のように演奏していたジョージさんが若かった頃と決定的に違うのは、ライブの数。自分たちの仕事がないときに音楽をしているから、バランスがちょうどいいんじゃないんですかね。今も当時と同じ感覚でやっていたら、1年もたなかったかもしれませんし(笑)。 ジョージ:昔はクラブと数カ月の専属契約をするんですけど、毎日夜8時から12時まで4ステージあって、月に2回しか休みがない。しかも、リクエストに応えるためにレパートリーを増やす練習もするから、数時間早くクラブに入らなくちゃいけない。そんな活動、今はできませんよね(笑)。そう考えたら、今はすごく楽しみながら音楽ができていますよ。 ーー音楽シーンにおける活動スタンス自体、今と1970年代とでは規模も成り立ちもまったく異なりますし、それこそ2007年とも異なりますよね。結果的に、この紫のペースは2020年代にすごく合っているのかもしれませんよね。 Chris:近年はインターネットとかSNSを通した活動も重要になりましたし、昔はCDやレコードといったフィジカル中心だったのが今やデジタルが当たり前。今の流行に無理して乗っかろうとすると、情報の流れもすごく速いじゃないですか。そこに合わせることって紫には無理だと思いますし、そもそも合わせる必要もない。 ジョージ:まったくない。 Chris:そう考えると、必然的にリリースも遅くなりますよね。音楽って、特にこういうバンドものだったら、楽曲を作ったらそれをレコーディングしてライブで演奏するわけで、ライブで演奏すればするほど育っていくと思っているんです。紫は2010年に『PURPLESSENCE』というアルバムを出したんですけど、そこからも13年も経つとライブでの演奏やアレンジはだいぶ変わってきていて。そう考えると、紫のようなタイプのバンドにとっては、それくらいの時間進行がちょうどいいと思うんです。 ーーハードロックやヘヴィメタルのようなジャンルは、時代の流行り廃りはそれほど影響しませんものね。 Chris:今も活動しているレジェンドバンドがライブをすると、お客さんが聴きたい曲って3、40年前のものばかりですものね(笑)。僕はそれでいいと思うんです。実際、僕自身もそういうリスナーでしたし、自分が音楽に興味を持ち始めてから紫の存在を知って、縁があってそこに加わることになった。そこで昔の代表曲をいくつか演奏することになって改めて聴き返すと、以前よりもカッコよく響くんですよ。特に紫は、1970年代と今とではボーカルも変わっていますから、キーのレンジも声質も全然違う。そこでも新たな発見があるので、続けていると本当に面白いんですよ。 疾風の如く駆け抜けていったからみんなの記憶に残った(Chris) ーー今年8月にリリースされたニューアルバム『TIMELESS』にも「Starship Rock ’n’ Rollers」や「Double Dealing Woman」といった過去の楽曲の新録バージョンが収録されていますが、どこか新曲を聴く感覚で楽しめましたし。 Chris:そういう意図もあって再録しました。特に「Starship Rock ’n’ Rollers」は、16年前に僕が紫に加入したときに「この曲をやりたい」と僕から言ったんです。これは絶対にJJのキーに合っていると思ったし。 ーーその『TIMELESS』ですが、今年初頭に公開されたドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』の中でも制作過程が紹介されたファストチューン「Raise Your Voice」からスタートする攻めた内容で、僕も延々とリピートしています。 Chris:これはよく言っているんですけど、僕とほかのメンバーは30歳近く離れていて。自分が30年後にあの曲をやるのは嫌ですものね(笑)。 ジョージ:ドラムとかギターのことを考えたら、もうちょっとテンポを落としたほうがいいんでしょうけど、僕もスピード感があるほうが好きだし、テンポを下げたら面白くなくなりますからね。 Chris:全然テンポを上げてもいいんだけど、苦労するのはほかのメンバーですから(笑)。 ーーあのガツンと攻める「Raise Your Voice」が1曲目にあるから、そのあとにディープな方向へいくらでも広げていけますものね。 Chris:「Raise Your Voice」のギターリフはハードロックやヘヴィメタル的には王道感が強くてキャッチーじゃないですか。そこを1曲目で提示できたから、あとは変拍子を含むプログレッシヴな要素とか、しっとりとしたバラードとかいろんなことに挑戦できたんだと思います。 ーー僕はこのアルバムを聴き終えたとき、「これが日本のハードロック/ヘヴィメタルのスタンダードなんじゃないか」と思ったんです。それくらい、このジャンルに求める要素のすべてが詰まった1枚だと確信しています。 ジョージ:ありがとう。 Chris:世代的には僕はMetallicaとかPanteraとかを通ってきたけど、それを紫に全部落とし込むのは無理なことで。でも、そういう匂いをジョージさんたちが昔から培ってきたものの中にミックスさせることが、自分の役割だと思っています。 ジョージ:僕自身は昔のハードロックだけにこだわっていないですし、彼が今挙げたようなバンドのほかにもDream TheaterやTransatlanticみたいなプログレッシヴなバンド、Greta Van FleetやHalestormのような若い世代のバンドも聴きますからね。 ーーまた、激しさを伴うハードなサウンドが軸だからこそ、アルバムでは「Younger Days」や「Tears of Joy」のようなバラードタイプの曲がより映えるんですよね。 Chris:このメンバーになってから制作したアルバムには、毎回必ずそういうバラードを入れているんですけど、僕自身がこういうタイプの楽曲が好きなんです。だから、制作しているときの気持ちの入れ方がほかの楽曲とはちょっと違って、よりエモーショナルさを注ぎ込むことができているのかもしれません。激しい曲の場合はノリや勢い重視で進められるところも多少あるけど、バラード系だとより繊細さが求められるから、だから余計にグッとくる部分が出てしまうのかなと。 ーーこのバラード2曲って、僕らが聴いてきた海外のロックというよりは日本人の琴線に触れるメロディやサウンド感なのかな、という印象も受けました。 ジョージ:僕もそう感じています。 Chris:もちろん意図的にそうしたわけではないので、知らず知らずのうちにお互いそういう要素を自然と出せるようになった結果でしょうね。でも、紫の曲作りに関して言うと、僕は曲構成のパターンは意識しているかも。特にこういうバラードの場合だと、曲の導入とサビをつなぐためにブリッジ(Bメロ)を入れてしまうことが多いので、そのへんは日本の歌謡曲やポップスからの影響は少なからずあると思います。 ーー1stアルバム『MURASAKI』をオマージュしたアートワークも含め、『TIMELESS』というアルバムタイトルがぴったりな1枚になりましたね。 Chris:今作に関しては楽曲制作が先に始まって、あとからタイトルやジャケットについて考えたんです。でも、楽曲のテーマ含め意図せずこういうタイトルやジャケットにつながっていったので、奇跡的ではありますよね。 ーー「Double Dealing Woman」にCharさんとBOWWOWの山本恭司さんがゲスト参加したのも、1977年の『NEW WAVE CONCERT』での共演の再現でもありますし。 Chris:そういうタイミングが今年、全部噛み合ったんですよね。もともと「Double Dealing Woman」の再録も、このアルバムを買ってくれた人へのボーナストラックみたいな意味合いだったんですけど、気づけばこれも『TIMELESS』というタイトルにつながりましたし。このタイトルはジョージさんの発案なんですが、見た瞬間に「これだ!」と思いましたから。 ジョージ:短くてわかりやすいですし、バンドのスタンスにもぴったりだと思ったんです。 ーーそれにしても、コロナ禍を抜けた2023年はパズルのピースがすべて噛み合ったかのような1年になりましたね。 Chris:逆に、今年じゃなければダメだったのかもしれないですよね。ほかのメンバーに合わせて「ちょっとずつペースを上げていこうか」という感覚だったら、年齢的な問題もあってできなかったかもしれないですし。でも、2022年にドキュメンタリー映画を制作したときに、その流れに乗ろうと決めたときに周りも一緒に動いてくれたことで、すべてのタイミングが噛み合ったんです。 ーーその2023年を締めくくるライブが、12月に沖縄と東京で開催されます。17日の恵比寿The Garden Hall公演には、山本恭司さんもゲスト出演することが決定しています。 Chris:「Double Dealing Woman」でのコラボがあって、この夏には日比谷野音でも共演し、来年のスウェーデンでの『Time To Rock Festival』にはBOWWOWさんも出演される。そういう縁もあるので、今回の東京でも一緒にできたらいいなと打診したら、スケジュールが偶然空いていたんです。これもタイミングと縁ですよね。 ーーどんなライブになりそうですか? Chris:『TIMELESS』というライブタイトルにもあるように、新作からの楽曲ももちろん演奏するんですけど、紫という長い歴史の中で僕が入ってからの16年の楽曲と、1970年代当時の楽曲を今回は完全に分けたいなと思っていて。そこをベースにライブの構成を考えています。 ジョージ:恭司さんとはもちろん「Double Dealing Woman」を一緒に演奏しますが、もしかしたらそれ以外にもDeep Purpleのカバーとかやるかもしれませんし。最終的には当日を楽しみにしておいてほしいです。 Chris:この取材期間が終わって沖縄に戻ったらリハーサルが始まるので、僕らも今から楽しみです。 ーーその後も、来年夏にはスウェーデンでの『Time To Rock Festival』出演も控えていますし。ドキュメンタリー映画公開以降の流れは、この50数年の紫の歴史の中でもかなり特別なものになりましたね。 Chris:1970年代を疾風の如く駆け抜けていったからみんなの記憶に残ったわけで、それがなかったらスウェーデンでのフェス出演も実現していなかったでしょうし。 ジョージ:解散していなかったらヨーロッパツアーできたかもしれないのに、と何度も残念に思ったこともありましたけど、解散していなかったらこの未来はなかったわけですからね。そう思うと、すべて間違いではなかったんだと今になって感じています。
西廣智一