注目の若手俳優シドニー・スウィーニーの核心にあるもの
“売れない時代”があったからこそ考える「キャリア」について
自分の名声が高まって、いままでの生活が変わることに文句があるわけじゃない。むしろ、メットガラ(MET GALA)に参加したり、ローリングストーンズのミュージックビデオに出演したりという全ての機会に感謝している。けれどシドニーは、仕事の成功や世間からの注目が幸せを保証するものではないことを若くして理解している。人生にはレッドカーペットの上でインタビューを受けることより大事なものがあるということも、決して短くないキャリアの中で学んできた。 「私は11~12歳の頃から女優として活動してきましたが、みんなに興味を持ってもらえるようになったのはここ数年のことで、誰も『YES』と言ってくれない時期が8~9年はありました。ここまで来るのに、たくさんの『NO』を押しのけてきたんです」 「私の両親は多くのものを失いました。破産申請をして湖畔の家も失いました(この曽祖父母の家はのちにシドニーが買い戻した)。当時の私たちには、ロサンゼルスで暮らせるほどの経済的な余裕がなかったんです。他の街で暮らす余裕もなかったですね」 生活費の足しにするため、当時のシドニーはベビーシッターやレストランのトイレ掃除をしたり、ユニバーサルスタジオでツアー客の案内をしたりしていた。 「あの頃は、家族が私を応援してくれていたからこそ余計に辛かったですね。女優業以外の仕事は考えられませんでした。家族をガッカリさせたくなかった。だから、どれだけ時間がかかってもテレビや映画に出るつもりでいましたし、何かが起きるまで辞める気は一切ありませんでした」 その“何か”とは、HBOで放映されたミニシリーズ『Sharp Objects(原題)』だったのだろう。そこからはノンストップで、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』、『ユーフォリア』、『ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾート』『リアリティ』『Anyone But You(原題)』、『マダム・ウェブ』といった作品への出演依頼が相次いだ。自称“仕事中毒”のシドニーは、複数の台本とギッシリ詰まったスケジュールを大いに楽しんでいる。「私はこの忙しさが好きなんです」。全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)のストライキの最中は「私生活も同じくらい忙しくしようとしていた」そう。 この機会に少しゆっくりしてほしいという家族の要望に反して新たな挑戦を求めていた、というよりむしろ必要としていたというシドニーは、いつもなら自分の制作会社の作品に取り組む時間を利用して、自分の誕生日パーティーを企画した。テーマは80年代のプロム(実際の『プロムには一度も出たことがない』そう)。ふわふわしたピンク色のドレスを形から生地までデザインし、パーティーには友達と家族を呼んで大騒ぎしたけれど、誕生日当日は本来の彼女らしく、地元のアートスタジオで巨大な青いカップケーキの絵を描きながら静かに過ごした。