角膜寿命は150年、何歳でもドナーに 「献眼」考えてみませんか 目の不自由な人に光
移植用の角膜を提供する「献眼」。角膜の寿命は150年ともいわれ、年齢に関係なくドナーになれます。広島県内では近年、訪問診療の医師の協力もあり、自宅で亡くなった人からの提供が増えていますが、まだまだ不足している状況です。目の不自由な人に光を届ける献眼について考えてみませんか。 【写真】花を生けながら角膜移植の大切さを訴える藤本さん
角膜を提供して
「まさか90歳を超す高齢でも人の役に立てるとは。本人も良いことをしたと喜んでいると思う」。広島市の平本登美恵さん(74)は2021年9月、 95歳の父台喜久男さんを自宅でみとった後、角膜提供に応じた。 きっかけは父の在宅療養を支えた安佐南区の福井英人医師(46)からの「角膜を人にあげることができますよ」との言葉だった。本人から献眼の意思を聞いてはいなかったが、ボランティアに熱心で世話好きだった性格も踏まえ、承諾した。翌年1月には、96歳で旅立った母満江さんの角膜も提供した。 年を重ねても仲むつまじく花見や紅葉狩りを楽しんでいた両親。献眼から約3年が経過し、平本さんは「誰かの体を通じ、今も夫婦できれいな景色を見ているのでしょうね」と話す。 福井医師は19年4月に古里広島で訪問診療の医師となった。元救急医で移植先進国スペインで研修した経験もあり、20年からみとりの際に献眼の意思確認を始めた。これまで声かけした166人中23人が応じ、県内の提供者の2割を超す。 福井医師は「亡くなった後にギフトを届ける献眼は、遺族の悲しみのケアにもつながる。多くの医師が、その選択肢を提示するようになれば献眼も増えるのではないか」と語る。取り組みに共感した医師の協力も徐々に広がっているという。
移植を受けて
三原市の生花店経営、藤本佳孝さん(52)は20代半ばで目の不調を感じ、円錐(えんすい)角膜と診断された。薄くなった角膜中央部が前方に突き出る病気だ。 光の加減で道路の白線が五重に見えたり、遠近感がつかめずに花を切る際に指まで切ってしまったり。症状は年々悪化し、人の顔もぼやけて認識できないなど仕事と生活に支障が生じていた。検診で「右目の角膜が破れそうで失明寸前だ」と指摘され、21年2月に広島大病院で右目の角膜移植を受けた。 術後3年が経過した今、右目の視力は0・1から0・7まで回復した。仕事中に指を切ったり、階段を踏み外したりすることも減った。 「角膜をいただいて感謝しかない。きれいな花を楽しむなどの当たり前の日常を取り戻す幸せを、もっと多くの人に味わってほしい」。フラワーデザインの全国大会を連覇した実力を生かし、今は県内外の講演会で花を生けながら献眼と角膜移植の大切さを伝える。 講演会では、自身の後悔も隠さず伝える。ことし8月15日、献眼のドナー登録をしていた父が急逝した。生花店が忙しいお盆の出来事。仕事の調整などに追われ、父の意思を伝えるのを失念した。「献眼の意思を確認する声かけが、どこかで一言でもあれば」。移植医療に対する社会の意識の高まりを願う。
中国新聞社