【岸田総理がバイデン大統領夫妻への手土産にも選んだが】能登半島地震で消失危機!「輪島塗」は本当に復活できるのか
輪島塗をどう継承していくか。そんな課題が積もるなか、2024年能登半島地震が襲ったのだ。 地震発生時、赤木さんは東京にいた。輪島の工房へ急ぎ向かってみると、耐震性のあった建物は無事だった。 しかし工房の中はぐちゃぐちゃ、そして停電に断水。生活はできない状況だった。また、共に働く6人の工房の職人が住んでいた家は全壊。職人たちは金沢への二次避難を余儀なくされた。 輪島での仕事はしばらく不可能になる。そう思った赤木さんは職人たちが二次避難をしている金沢での仮工房をすぐに開設した。
「幸いにも木の仕事道具は無事でしたし、漆も一部は残っていました。漆器業に携わる事業者には道具や材料に対する支援金は比較的すぐに出ました。さらにインフラが壊滅した事業者には金沢市が不動産を提供してくれました。そこで2月10日には金沢に仮工房を作り、上塗り以外の作業を進めることにしました」 職人はスポーツ選手と同じだ。手を動かしていないと技術は一気に鈍る。若い弟子のためにも一刻も早く仕事をできる環境を整えたいと赤木さんは金沢へ仮工房を作ることを決意したのだ。
自分たちの仮の基盤はできたが、一緒に働いていた職人たちの安否がわからない。一人ずつ連絡をとろうと試行錯誤していくうちにじわじわと一番の問題に気がついていく。 それは、人材の流出と職人たちの廃業だった。 *この記事の続き:消失危機! 「輪島塗」は復活できるのか【後編】
山路 美佐 :食と旅の編集者