天守台の発掘調査進む徳川・駿府城、現場公開しガイドツアーも
徳川家康が晩年を過ごした駿府城の跡地(静岡市葵区)で、天守台の発掘調査が進んでいる。発掘現場は一般に公開され、ボランティアによる駿府城ガイドツアーが定期的に行われている。調査を行っている静岡市は、発掘体験企画も検討しており、発掘調査そのものを歴史体験イベントと位置づけて市民と一体となった取り組みを進めている。
明治以降、陸軍に払い下げとなった駿府城
徳川家康は、今川義元の人質として駿府(静岡市葵区)で子供時代を過ごし元服も駿府で迎えている。桶狭間の戦いが起き、今川軍が織田軍に敗れたことから解放されて岡崎城主となり、その後、駿府城を築城したとされる。江戸城に移った徳川家康は、関ヶ原の戦いで天下統一を果たし江戸城で全国を支配した。 66歳で駿府に戻り2回目の築城を行うとともに、1616年(元和2年)に75歳で亡くなるまで駿府城で大御所政治を行ったという。駿府城は家康亡き後、1632年(寛永9年)から城主不在となり、明治以降は、陸軍に払い下げとなり、1896年(明治29年)には陸軍歩兵34連隊が駿府城跡地に設置されて天守台が取り壊され、本丸堀も埋め立てられてしまった。
将来的には天守台の復元も
戦後は、野球場やテニスコート、会館などが跡地に整備されて市民の公園として親しまれたが、城としての面影は石垣を残す程度で、文化的、歴史的な価値を市民が公園に感じることはできなかった。静岡市は平成に入り、「駿府城の歴史を感じさせる公園」をコンセプトに公園の再整備に乗り出し、1989年(平成元年)には巽櫓、1996年(平成8年)には東御門を復元、歴史調査と調査にもとづく整備を進めてきた。今年度からは4カ年計画で天守台の発掘調査をスタートさせ、将来的には天守台の復元も検討する予定だという。
タブレットで駿府城の再現も
天守台の発掘現場は一般公開されており、静岡市観光ボランティアガイド「駿府ウエイブ」のスタッフが「駿府城タイムトラベルツアー」と称して1時間程度のガイドツアーを実施している。貸与されるタブレットを手に駿府城跡をガイドの説明を聞きながら巡り、ポイント、ポイントでは当時を想像したCGがタブレットに映し出されるというもの。参加した男性は「愛知から来ました。没後400年で久能山東照宮に行ったので、今日は駿府城を見に来ました」と話していた。「駿府城タイムトラベルツアー」についての問い合わせは「駿府ウエイブ」(054-253-3616)まで。