ジャニー喜多川元社長ドキュメンタリー制作の英BBC記者にインタビュー「世界中の報道機関にとっての教訓に」
■「世界中の報道機関にとっての教訓に」
――日本の多くのメディアが、この問題を取り上げてこなかったこと、そしてBBCのドキュメンタリーの放送後も問題を直視してこなかったことについてどう感じていますか? 日本のメディアが、ドキュメンタリーの前から何十年もの間、この問題を無視してきたことは非常に問題だと思います。週刊文春は、最近だけでなく何十年もこの記事を取り上げていることはご存じでしょう。 一方で、日本国内のテレビ局、新聞、オンラインメディアなどを考えてみると、この話は無視されてきたと言ってもいいと思います。そしてそれは、被害者が無視されてきたことを意味するのです。報道機関と芸能界、特にジャニーズ事務所との関係には複雑なものがあることを知っています。何十年もの間、ジャニーズ事務所が権力を握っていたことも知っています。そのように大きな権力を持つことは危険だと思います。 私は、1つの組織、1つの会社が独占すべきではないと思っています。誰も、何がニュースになり、何が黙殺されるかを決めることはできないはずです。そして、これは日本国内だけでなく、世界中のすべての報道機関にとっての教訓だと思います。権力の所在を考え、ジャーナリストは外部からの圧力を感じることなくニュースを報道できなければならないと思います。 ――日本のメディアの構造上の問題についてはどうお考えですか? 日本のメディアの構造は非常に独特なものだと思います。芸能界がしばしば極端な権力を握り、特定の報道機関に対して、ニュースにしてほしいことや、反対にニュースにしてほしくないことを伝えることができるのを目の当たりにして、私は困惑しました。そんなメディアは役に立ちません。日本国内では、非常に狭い専門分野を持つ多くのジャーナリストがいることも理解しています。そのため、ある狭い分野においては人間関係を築くのに有利になります。そして、何年も何十年もそのような関係を築いていき、その関係を壊すことを恐れて、報道できることが非常に限られてしまうことが多いのです。一度人間関係を壊したら、もう記事になる情報を手に入れることはできなくなるのですが、それは健全ではないと思います。どんな文明社会でも、どんなに民主主義が機能していたとしても、報道機関は自由に発信できなければいけません。報道機関は肯定的なものも否定的なものも自由に発信できなければならないのです。それが重要なポイントだと思います。 日本のジャーナリストは、ジャニー喜多川元社長の問題を報道しないという選択をした時、誰の利益のためにそうしたのかということを自問自答しなければならないと思います。本当に誰のためだったのか?その時の動機は何だったのか?もし彼らが被害者から連絡を受けていたり、噂を聞いていたりしたのに、その話を取り上げないことを選んだのなら、その動機は何だったのか?私は、今日、日本中の報道機関で、こうした疑問が投げかけられ、その文化に変化が起きることを心から願っています。 ――ジャニー喜多川元社長の問題を取材した記者として、日本のメディアに対してメッセージがあれば教えてください。 日本のメディアに言いたいのは、私は日本そのものをとても尊敬し、愛しているということです。日本のマスコミ、そして日本のマスコミの同僚たち、私はあなた方一人ひとりに、あえて「困難な会話」をするように訴えたいです。私たちは皆、同僚や上司を持ち、「これは重要な記事だ」と声をあげることはとても難しいことだと知っています。 しかし、これは重要な話で、それが社会を前進させる方法なのです。そうやって社会を変えていく必要があります。だから私は、日本の報道関係者に、どうかそうした「困難な会話」をしてほしい、そして本当に難しい、不可能に思えるような問題を報道してほしいと心から訴えたいです。そのような記事こそ、あなた方が時間を費やし、仕事に打ち込むべきものなのです。