不正出血から分かった子宮がん 何度も涙流した治療、マラソンへの情熱が支えに 59歳ランナー、死への恐怖乗り越え挑む42.195キロ
一時は1キロも走れない状態から回復
「マラソン抜きには生活できないの」。長野県長野市篠ノ井山布施の会社員、島田優子さん(59)は昨年6月、4カ月間の抗がん剤治療を終えた。治療中は体調が良くても1キロも走れなかったが、今春にはフルマラソンを完走できるまでに回復。4月21日、2年ぶりに長野マラソンに出場する。大会を目前に控え、トレーニングに精を出す日々だ。「3時間半は切りたい」と笑顔を見せる。 【写真】大勢のランナーとゴールへ向かう高橋尚子さん(2019年4月21日)
長野マラソン初出場で膝骨折、「絶対走らない」と誓ったけれど
春夏秋冬、午前5時半に自宅から近い篠ノ井西公園でマラソン仲間と走り始める。このごろはすっかり明るくて暖かく、走りやすい。水曜と土曜は1回1キロのインターバル走を7回、その他の日は10キロほど走る。 体を動かすのが好きでエアロビクスに夢中だった2003年、友人の「誰でも走れるよ」の一言に誘われて長野マラソンに初出場。全く未経験ながら4時間11分で完走したが、膝の骨が疲労骨折していた。「こりごり。絶対もう走らない」と心に誓った。 だが、1カ月もたつとなぜかそんな気持ちは忘れてしまい、気付けば翌年の出場を目指していた。その後、長野マラソンには、がん治療中だった23年を除き、毎年出場。そのたびに「100点満点の走りをしていない」と反省し、「次はきっと100点取れるかな」と練習を続けてきた。
ベストタイムは3時間6分、年代別1位に輝いたことも
出場を重ねるうちにタイムはどんどん縮んだ。ベストタイムは12年の3時間6分。目標の国際大会にも出ることができた。長野マラソンでは17年に年代別で1位に輝いた。 年代別2位だった22年、例年通り10月に翌年の長野マラソンにエントリーした。子宮体がんが見つかったのは、この年の12月。1年ほど続いていた不正出血が気になり婦人科を受診した時のことだ。
先に死なないー夫と約束していたのに
「がん=死」という先入観があった。25歳の時、結婚間近の今の夫に「俺より先に死なないで」と言われたことを思い出し、「約束は果たせないかも」と感じた。
手術後見つかった転移「今度こそ・・・」
昨年1月、子宮と卵巣、リンパ節を摘出し、入院生活を経て無事退院した。「秋には大会に出られるかな」と気持ちはマラソンに向かったが、1週間後、病理検査で摘出したリンパ節からがんが見つかった。全身に転移している可能性があり、すぐに抗がん剤治療が始まった。「今度こそ死んじゃうんじゃないか」と不安が募った。全身の毛が抜け、全身から血が抜けていくような倦怠(けんたい)感に襲われた。何度も1人で涙を流した。