マーク・ウォールバーグ×ハル・ベリー『ザ・ユニオン』から考える、映画界の現状や課題
『ザ・ユニオン』のような作品が製作される背景とは
『ワイルド・スピード』(2001年)は、ロサンゼルスの地元でカーチューンや路上レースを楽しんでいる者たちが、じつはFBIに追われる凄腕の窃盗団だったという物語が描かれるが、人気の高まりによってシリーズが大作化していくに従って、舞台はよりワールドワイドになり、窃盗団たちがカーチューンやドライビングテクニックによって、世界の危機までをも救ってしまうという、荒唐無稽な内容が人気を博している。 世界を牛耳るような組織と渡り合い、高度なミッションに挑むという点で、やっていることは、もはや本作同様に『007』シリーズそのものであり、地元の仲間たちでそんな作戦を成し遂げるという展開には、ほぼリアリティが存在しないとも感じるわけだが、この悪ノリを観客が支持したことも事実なのである。確かに、映画は現実とは異なるものだ。観客を楽しませるためならば、リアリティなど度外視してもいいという考え方もあるかもしれない。 では、近年の『ワイルド・スピード』シリーズの何が観客へのサービスになっているのかといえば、それは、「地元サイコー!」の価値観を持った仲間たちが、世界の命運を左右するステージで活躍する姿を見せるといった部分にあるだろう。本作『ザ・ユニオン』の主人公のように、世の中の大部分の人々は、ホワイトカラーのエリートというわけではない。だからこそ、そうではない人々が荒唐無稽なまでに活躍する“飛躍”を用意することこそが、カタルシスになり得ると考えられるのである。 この背景には、とくにアメリカで国内で数十年前より広がり続ける経済格差問題が関係しているように思える。世界で最も裕福な国にもかかわらず、ほんのごく一部の富裕層が莫大な富を独占し、多くの庶民の生活水準が下がり続けるなかで、その事実をいっときでも忘れさせてくれる娯楽映画において、並大抵のカタルシスではもう間に合わないというのが、正直なところなのかもしれない。 本作の主人公マイクにとって、諜報機関のエージェントとなったロクサーヌが目の前に現れるということは、まさに“カモがネギを背負ってやってきた”ようなものだといえる。しかも、スパイとしては素人に過ぎない自分を熱心に必要としてくれるのである。主人公にとって都合の良いレールが敷かれていくという意味で本作は、中年男性用のファンタジーだといえるし、現実でうまくいかない人物がファンタジー世界で快進撃を見せる、日本の「異世界転生もの」に望まれてきた要素とも近いところがある。 その観点から本作を観れば、かなり計算した上でカタルシスを提供しようとしていることが理解できるはずだ。悪漢との戦いにおいて、高所で建築現場のスキルが活きるところなどは象徴的だろう。主人公にとって最も望んでいるものが、タイミング良く用意されるといった趣向は、同じNetflix配信の『アダム&アダム』(2022年)や、Apple TV+の『ゴーステッド Ghosted』(2023年)などの配信作品にもつながるところだ。 このような作品が製作される状況には、配信サービスの台頭も影響しているはずである。劇場作品の鑑賞中、その作品が気に入らないからといって、途中で席を立つ観客は少数派だ。しかし、配信で映画を観ている観客は、いつでも切って他の作品へ移ることができる。そういう環境下において製作側は、観客にストレスを感じさせる内容を提供するのはリスクだと考えるのではないか。それは、賞狙いの一部のタイトルを除き、娯楽映画が「作品」というよりも、「コンテンツ」であり「サービス」の方に傾いてきていることを意味すると考えられるのである。 しかしそのような方法論をとっているにもかかわらず、本作『ザ・ユニオン』や『ゴーステッド Ghosted』のようなタイトルについては、現時点でアメリカの批評家、観客ともに評判が芳しくないというのが実情だ。その一方で、視聴数の方では狙い通り高い成績を収めているところが興味深い。つまりは、一応は最後まで視聴するものの、そこまで満足度は高くないということなのだ。 それは、考えてみれば当然なことなのかもしれない。娯楽的な小説や映画の脚本では、主人公を精神的にも肉体的にも追いつめていくことが常道だからだ。多くの場合、主人公が苦しみのなかで何かを選択し、犠牲を払うことで、より深く大きいカタルシスを生み出す準備ができるはずなのである。だからこそ、どれだけの観客が鑑賞したかということよりも、どれだけの観客の心を動かしたか、という方を問題にすべきではないのか。そのように考えれば、視聴数だけで成功、失敗を判断するわけにはいかないはずだし、今後どのような作品を参考にしていけば未来につながるかの答えも出るはずだ。 本作のタイトルの基となった、グレアム・グリーンのスパイ小説『ハバナの男』は、平凡な男が英国のスパイになるという部分では、本作の設定に近いものがある。しかしこの物語には、その男が当局に報告するほどの情報がないので、勝手に情報を捏造していくという、興味深い展開がある。イギリスの諜報機関が、間抜けにもそれを信じてしまうというところも面白い。ここには社会や権力に対する、グレアム・グリーンの批判精神が活きている。こういった奥行きもまた、作品を意義深く充実したものにしてくれる要素だ。願わくば現代の娯楽映画の多くにも、このようなスパイスを効かせるたくらみがあってほしいものだ。
小野寺系(k.onodera)