え? いたの!? 実はACミランの下部組織出身だった選手(3)珍しい大卒選手! ユベントスで時代を築いた男
イタリアの名門ミランでは多くの才能が育つ。それだけに競争は激しく、トップチームに生き残れるのはほんの一握りだ。しかし、トップチームで輝けずとも、その後のキャリアで華を咲かせる選手もいる。今回は、選手や監督として成功を収めてきた、“実は”ミラン下部組織出身の主な人物を紹介する。
DF:ジャンルカ・ペッソット(元イタリア代表) 生年月日:1970年8月11日 ミラン通算成績:0試合0得点0アシスト ウディネ近郊のラティザーナ出身のジャンルカ・ペッソットは、イタリアのサッカー選手では珍しく大卒で、法学を学んだ秀才プレーヤー。「プロフェッソリーノ(小さな教授)」の愛称で親しまれた。ミラニスタの家族の期待を一身に背負い、ミラン下部組織には1987年に入加入。「ミランに練習しに行くのはサッカーの大学に行くようなものだった」と振り返る。 さらに「ミランのスーパースターたちは、数多くのタイトルを獲得していたけれど、無冠であるかのように、本当に謙虚にトレーニングしていた」と回顧すると「(フランク・)ライカールトと(マルコ・)ファン・バステンといった選手が、全体練習前にコーンでドリブルの練習をしているんだ。そんなことはもう必要なかったのに。一流であるには、何よりもまず、メンタルがそうでなければならないということをこの時に学んだ」とミラン下部組織時代の経験が役立ったと強調している。 しかし、トップチーム昇格は叶わず。その後は下部リーグの挑戦を経て、95年夏にトリノからユベントスへと移籍。加入1年目にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)のビッグイヤーを掲げ、通算4回のスクデットを獲得した。欧州カップ戦74試合の出場は、アントニオ・コンテと並びクラブ歴代9位だ。
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