長野智子、価値観を一変させた9・11テロ パレスチナ難民キャンプに飛び、見た現実
時代の今を伝える仕事「やらせていただける限りはやっていきたい」
4月から文化放送の情報ワイド番組『長野智子アップデート』(月~金曜日午後3時30分~5時00分 生放送)のパーソナリティーを務めているキャスターの長野智子(61)。フジテレビ退社後は、報道畑を歩んできたが、転機になったのは2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件だった、と語る。(取材・文=平辻哲也) 【写真】「困っている人の権利を守れる社会に」 鮮やかなレインボーからのTシャツを着てパレードに参加した長野智子 90年に商社マンの夫との結婚を機にフジテレビを退社し、95年から夫の米ニューヨーク赴任に伴い、渡米。ニューヨーク大学大学院で学び、2000年からテレビ朝日『ザ・スクープ』のキャスターを務めていた時、世界を揺るがす大事件が起きた。 「好きで始めた報道の仕事ですが、自分は本当に向いているのかなと思っていました。周りには『ザ・スクープ』の鳥越俊太郎さん、『朝まで生テレビ』の田原総一朗さん、田丸美寿々さんといろんな方がいらっしゃって、皆さん、ガッツがすごいんですよ。田原さんは絶対に二度と日本に戦争をさせないために、鳥越さんは権力の不祥事許すまじ、といった強い信念を感じました。でも、私には保守とかリベラルとか強い信念もなかった」 日本で同時多発テロを知った当初は、許せない気持ちでいっぱいだった。 「アメリカで生まれて、住んで、友達もいっぱいいましたから。当時はアメリカだけではなく、全世界中がテロを許さない、アメリカは報復すべきという雰囲気でしたよね。その事件の翌々日に、初めてパレスチナに飛んだんです」 そこで意外な現実を目の当たりにした。 「パレスチナ難民キャンプを取材したときに、『イスラエルはアメリカから武器をもらって攻撃してくるが、何も持たない我々は、家族を守るために自分の体を武器にするしかない』と言うわけです。中継では『報復しても、血の連鎖になるだけだ』と伝えました。そんなことをレポートしたのは『ザ・スクープ』だけだったそうで、帰国したら、評価をいただいた。それは、現場に行って自分が見て感じたことを伝えたから、言葉に魂が乗ったんだと分かったんです」