クルマ愛ゆえの辛口? 自動車評論家「徳大寺有恒」没後もうすぐ10年、モータージャーナリストの私が今でも尊敬し続けるワケ
筆者のケンメリGT-R運転体験
ここでもうひとつ記しておきたいことがある。 これは徳大寺氏のことではなく、筆者自身に起きたとあるエピソードである。1990年代半ばのこと。当時、1970年代の日本車を解説する原稿において、必ずネガティブな悲しい結論となる1台があった。それは1973(昭和48)年式の日産スカイライン2000GT-R。いわゆるケンメリGT-Rである。 大成功作となったハコスカGT-Rの後継として誕生するも、オイルショックの影響とともにわずか197台で生産終了。レースでの活躍もかなわなかった1台。ボディが大きくなっていったことから、レースカーになってもハコスカほどの戦闘力はないだろうとまで酷評された。そして結論はお決まりの時代の流れに背かれた「悲劇の1台」である。 筆者はある雑誌の取材で、新車に近い状態のケンメリGT-Rの運転とインプレッションを担当することとなった。もちろんその時点で初めての経験である。ここで注意したことは、とにかく先入観のないスタンスで、ナンバー付きのこの状態のクルマのよいところを伝えようというものだった。 そして、実際に運転してみたケンメリGT-Rはエンジンのフィールもかっちりとした足回りも、クルマとして何の過不足もないものだった。むしろ個人的にはこういうクルマが欲しいとさえ感じ、ネガティブなことには触れることなくそのままの気持ちを原稿にした。
評論家のスタンスと評価基準
筆者がこうしたスタンスに至った背景には、間違いなく学生の頃に読んだ徳大寺氏の文章があった。 評論家なら原稿のスタンスは好き嫌いで何の問題もない。ただし、そこには ・公正さ ・明確な評価基準 がなければいけない。その上で、書き手の人となりが明らかになっていればいうことはないだろう。 最後に、徳大寺氏はその生涯の間に数え切れない程のクルマを自身で購入し所有していたという。人づてに耳にした話では、 「収入の大半」 はそれに注ぎ込んでいたとも。クルマではもうけることなく“損”ばかりしていた。これもまた筆者が氏を尊敬するエピソードのひとつである。
矢吹明紀(フリーランスモータージャーナリスト)