【没後10年】高倉健の「孤独と苦悩」…盟友が明かす「饒舌になると話すのは決まって下ネタでした」
サヤに収まった日本刀を手に熱っぽく語っているのは、在りし日の高倉健(享年83)。「自分、不器用ですから」と武骨で口下手なイメージの銀幕スターは、実は大変なジョーク好きだったという。 【画像】高倉健 プライベートマネジャーにみせていた「素顔」秘蔵写真…! 「『俺は本当は話がうまいんだ。黒柳徹子さんにも負けないよ』と自慢していましたよ」 証言するのは黒澤明監督のアメリカでのマネジメント会社クロサワ・エンタープライゼズUSAの代表を務めたTak(タック)阿部氏(71)。主に遊び面でのアテンドを担当するプライベートマネジャーとして高倉を30年以上支え続けた人物だ。 名優の没後10年、2月16日の誕生日を機に、「記憶が確かなうちに彼の素顔を残しておきたい」とTak氏がFRIDAYの取材に応じた。 Tak氏によると高倉は映画の撮影を終えると、海外に長期滞在して骨休めをするというサイクルで活動していたという。名優という重荷から解放してくれる唯一の場所が海外だったからだ。 「アメリカに入国すると小田剛一(ごういち)(本名)に切り替わるんです。酔って饒舌になると話すのは、決まって下ネタ(笑)。私の妻も一緒に3人で飲んでいるのに、平気で『高校生の時、夜中に寺に忍び込んで、男友達とみんなでマスターベーションしたんだ』と話したりする。ただ、不思議なことに、高倉さんが話すと決して下品にならないんですよ」 陽気な小田剛一と寡黙な高倉健。世間が求めるイメージとのギャップに思い悩む姿を見せることもあったという。 「フランキー堺さんや森繁久彌さんら、喜劇俳優の大御所を非常に尊敬されていました。喜劇の表現を研究されていたんでしょう。森繁さんのモノマネを披露することもありました。『本当は喜劇に出たいんだけどな……』と寂し気な表情で口にするのが印象的でした」 ◆「お前が羨ましい……」 高倉の息抜きに付き合うのも、Tak氏の仕事だった。 「車で山道を走るのが好きで、ジェームス・ディーンが『理由なき反抗』(’56年)で飛ばした、ハリウッドからグリフィス天文台まで延びる道を何度もドライブしました。車種にもこだわりがあり、品薄だった『ポルシェ911ターボを探してほしいんだ』と頼まれたこともあった。 全米のポルシェ販売店を探して、やっと見つけたのはいい思い出です。西部劇へのあこがれから拳銃の収集にも凝っていた。護身用のコルトパイソン357マグナムを、女性でも軽く撃鉄を引き起こせるよう改造していました」 いつしかTak氏は、高倉が気を許す数少ない存在になっていた。「Tak、俺はお前が羨ましい。聡明な妻とかわいい子供がいる。幸せな家庭を持っていることが羨ましい……」と、ふと呟いたこともあったという。 「’71年、江利チエミさんの異父姉(いふし)が江利さんのお金を横領していたことなどが明るみに出て、二人は離婚しました。高倉さんは晩年、養子縁組をしましたが再婚はしなかった。新しい妻を迎えることに躊躇があったからでしょう……。 旅行用のカバンに、いつも革で作った巾着をぶら下げていて、何が入っているのか聞くと、江利さんからアメリカ旅行のお土産でもらった現地のお守りだと言うんです。離婚から20年以上経ってもなお、昔の妻を想い続ける姿を意外に感じたものでした」 高倉の最後のロス滞在は、’11年。ベニスビーチを訪れたり、ビバリーヒルズのモールで大好きなリーバイスのデニムを買い込むなど、1週間にわたりTak氏と過ごしたという。 悪性リンパ腫で高倉がこの世を去ったのは、それから3年後。泉下でも得意のジョークを披露していることだろう。 『FRIDAY』2024年3月1・8日号より
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