夏目漱石と正岡子規ゆかりの「愚陀仏庵」 松山市が26年夏に再建へ
夏目漱石と正岡子規ゆかりの「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」が2026年夏に再建される――。松山市は24日、漱石の小説「坊っちゃん」発表120周年に合わせて、子規を輩出した市立番町(ばんちょう)小学校のプール跡地に愚陀仏庵を再建すると明らかにした。野志克仁市長は「二人が過ごした唯一の建物は松山市の宝。『俳都松山』の象徴的な場所になる」と語った。 漱石と子規が1895(明治28)年8月から52日間にわたって同居した愚陀仏庵は、旧制松山中学(現愛媛県立松山東高校)の英語教師だった漱石の下宿先。漱石の俳号「愚陀仏」にちなむとされる。日清戦争の従軍記者としての任務からの帰りに喀血(かっけつ)し、里帰りした子規が転がり込んだという逸話が残る。 「2階には漱石さんが、1階には子規さんが過ごしたという逸話が残る。『俳聖』『文豪』となる2人が52日間過ごしたたずまいを再現して、没入感ある建物にしたい」。同日の定例会見で野志市長は「名所」の復活に向けた構想を述べた。再建する愚陀仏庵は木造2階建てで「漱石さんが弓道の練習をしたという中庭」(野志市長)も再現する方針だ。 総工費は未定だが、国の交付金を活用して市の25年度一般会計当初予算案に計上する方針。市立番町小のプール跡地を活用するが、完成後は敷地を区切り専用の入り口を設ける予定だ。市民の句会や茶会の他、児童・生徒らの俳句創作など文化や教育活動もできる多目的施設として広く活用を促すという。 もともと愚陀仏庵は市中心部にあったが、1945年7月の戦災で焼失。愛媛県が82年に松山城のふもとにある国指定重要文化財の洋館「萬翠荘(ばんすいそう)」近くに復元したが、2010年の土砂崩れで倒壊した。県と市が適地を探すも見つからず、建物が元にあった土地の所有者も再建を試みたが断念していた。 市立番町小は子規をはじめ、高浜虚子(きょし)、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)と、そうそうたる俳人の母校として知られる。老朽化で25年度から本格的に水泳授業が民営委託されるため、市はプール跡地を再建場所に決めた。【鶴見泰寿】