まさかの“不発”…「戦力外通告」を受けたFA戦士(6)“セルフ戦力外”は免れたが
毎年、シーズンオフに大きな注目を集めるのがフリーエージェント(FA)市場だ。FA権を行使しての移籍は、この世界で長期的に活躍した選手の証とも言える。しかし、FA加入後も変わらぬ存在感を示す選手がいる一方で、大きく成績を落とす選手も多く存在する。そこで今回は、移籍先で戦力外通告を受けたFA戦士を紹介したい。
木村昇吾
投打:右投左打 身長/体重:183cm/78kg 生年月日:1980年4月16日 経歴:尽誠学園高 - 愛知学院大 ドラフト:2002年ドラフト11巡目 FA宣言後、獲得球団が現れないという出来事を経験したのが、広島東洋カープなどでプレーした木村昇吾である。 尽誠学園高では、3年夏に甲子園を経験。その後、愛知学院大でバッティングに磨きがかかり、ドラフト11巡目という指名ながら横浜ベイスターズ(現:DeNA)に入団となった。 しかし、横浜では在籍5年間でわずか7安打と結果を残せず。2007年オフにトレードで広島の一員となった。 新天地では一軍の貴重な戦力となり、移籍4年目の2011年はキャリアハイの106試合に出場。同年は打率こそ.259だったが、37の犠打を成功させた。 レギュラーではなくとも、いぶし銀のプレーを見せ続けていた木村は、2015年オフにFA権を行使。ところが、他球団からオファーが来ることはなかった。 その後、埼玉西武ライオンズの春季キャンプにテスト生として参加し、見事合格。FA宣言した選手がテスト入団となるのは、プロ野球史上初の事例だった。 ただ、移籍1年目の2016年6月に右膝前十字靱帯を断裂。この故障が大きく影響し、同年10月に早くも戦力外通告を受けた。 育成選手として踏みとどまった移籍2年目は、6月に支配下復帰したものの、同年は一軍出場がわずか3試合に。シーズン終盤に2年連続の戦力外となり、NPBを去ることになった。
ベースボールチャンネル編集部