《ブラジル》■記者の眼■ 岸田総理来伯1週間前に 中島エドアルド剛さんが突如離任、文協事務局長を21年務めて
「少し心配なのは私には後任がいないことです…」
ブラジル日系社会の大黒柱といえる日系団体、ブラジル日本文化福祉協会(文協)の中島エドアルド剛事務局長(64歳、2世)から24日突然、次のような「離任のご挨拶」が送られてきて驚いた人も多いだろう。 いわく《いつもお世話になっております。ブラジル日本文化福祉協会事務局長の中島です。 私事ですが、4月24日をもって文協事務局長を離任いたしました。 前任者の藤井卓治(1955―1970年)、安立仙一(1970―2003年)らが行ってきた任務を引き継ぎ継続し、私なりに志を込めて尽くし、21年間にわたり職務を全うすることができましたのは、皆様方のお力添えがあったからこそと、心より感謝申し上げます。 末筆ながら、誰もが忍耐と謙虚さを持ち、悟りと知識を見つけ、より良い世界の構築のために、各自が持つそれぞれの才能が発揮されることをお祈りいたします》とのこと。 24日午後、編集部へ挨拶に訪れた本人と話したところ「私も最近知ったばかり」とのこと。文協の定年は70歳だし、8月には日本館70周年、来年には文協70周年、日伯外交樹立130周年で皇室のご来伯があるかもというタイミングなので、コラム子も驚いた。
中島さんは1959年12月サンパウロ市生まれ、サンパウロ大学工学部卒で1984年に島根県費留学生として広島大学工学部で学び、大学院修士課程もそこで終えた。当地でブラジル日本商工会議所、YKK、豊田通商、あさひ銀行などを経て、03年から文協で事務局長になった。 「大学時代はどちらかと言えばコロニアから距離を置いていたので、まさか自分が文協事務局長になるとは思っていませんでした。たまたまソールナッセンテ人材銀行代表の赤嶺尚由(なおよし)さんに就職先を相談したら『サンジョアキン街381番で探している』と言われ、来てみたら文協でした」と笑う。 一番印象深かったことを尋ねると、2008年に日本移民百周年を終え、上原幸啓会長(当時)と共に日本の関係者にお礼に回った際、「突然、外務省から『天皇陛下がお会いになりたいと言っている』と連絡が入り、翌日に皇太子殿下のご自宅(御所)に向かい、上原会長だけ中に入り、私は庭で待ち、その間、侍従長と話をさせてもらったことです。皇室との深い関係など、文協で働くまでは想像もしたことありませんでした」と振り返った。