「赤ちゃんを亡くした後のタンタンはニンジンを抱いて…」多くの人に愛された“神戸のお嬢様”の一生
中国・四川省の臥龍で1995年9月16日に生まれたジャイアントパンダのタンタン(旦旦)。28年半の生涯のうち、前半はさまざまな変化に見舞われ、最後の3年間は病と闘いました。 【画像】たくさんの人に愛されたパンダのタンタン。 4歳だったタンタンは2000年7月16日、「日中共同飼育繁殖研究」の一環で神戸市立王子動物園にやってきます。一緒に来たパンダはコウコウ(興興)。中国側はオスとして送り出しましたが、メスのタンタンとの間で繁殖できないと分かり中国に返還。代わって2002年12月9日に来たオスがコウコウの名を引き継ぎました。
赤ちゃんとパートナーの死
タンタンは2007年8月12日に死産となるも、2008年8月26日に出産。赤ちゃんは、国内で20年ぶりに誕生したパンダでしたが、3日後の8月29日に息を引き取りました。同年5月の四川大地震の影響で、通常なら出産・育児の支援に来てくれる中国ジャイアントパンダ保護研究センター(以下、パンダセンター)の専門家が来られなかったことも痛手でした。 赤ちゃんを亡くした後のタンタンは、時おりニンジンを大切そうに抱き続け、舐めるように。パンダの母親が赤ちゃんに対してする仕草です。外で小石を拾ってきて、抱き続けたこともあります。この「偽育児」は2020年まで続きました。 コウコウは2010年9月9日、麻酔から覚める途中で死亡。神戸市は賠償金として50万ドルを保険金で中国側に支払いました。コウコウの亡骸は中国へ送られ、王子動物園のパンダはタンタンだけになりました。
2020年から四川省で暮らす予定だった
タンタンがいるおかげで、観覧者は楽しんだり癒されたりしました。愛称は「神戸のお嬢様」。王子動物園と中国の技術交流も進み、同園のパンダ研究も進展。飼育員と獣医師はパンダセンターの雅安碧峰峡基地で研修を受けました。 四川省の成都で2018年11月に開催されたパンダに関する国際会議では、老化が始まったタンタンの健康管理などをテーマに王子動物園の獣医師の谷口祥介さんが発表。タンタンの目の病気の治療やハズバンダリートレーニング(人間が検査・治療しやすい姿勢を動物が自主的にとれるようにする訓練)などについて話しました。 タンタンは来園して20年となる2020年の7月15日を期限に中国へ帰ることが決まりました。「高齢のパンダなので、今後は体の負担が少ない場所で過ごさせたい。中国は高齢パンダの飼育経験が豊富なので任せてほしい」との中国側の意向でした。新居は四川省にあるパンダセンターの都江堰基地です。タンタンの4歳上の姉のバイユン(白雲)もアメリカでの約23年間の滞在を終え、2019年5月から都江堰基地で暮らしています。 ところがコロナ禍でタンタンの帰国は延期。翌2021年3月、加齢に伴う心臓疾患が判明して帰国は難しくなりました。治療には、王子動物園と連携協定を結ぶ大阪公立大学など、園外の人たちも協力。パンダセンターは2022年5月から獣医師や飼育員を派遣しサポートしてきました。 タンタンは2021年11月22日から非公開。12月14日に公開を再開したものの、2022年3月14日から再び非公開となり、以後、一般公開されることはありませんでした。