うまい写真がいい写真とは限らない…「エモい」や「バズる」を超える「いい写真」の条件とは〈人気写真家が指南〉
いい写真はうまい写真じゃない
写真には「いい写真」と「ダメな写真」があります。「写真にはいいも悪いもないんだ」っていう人もいるけど、本当に良し悪しがなかったら仕事になりません。写真が仕事になったり作品で賞をもらったりするのは他者から良し悪しの評価をされるからです。 だけど写真には明確な正解がないとはぼくも思います。本当はあるのかもしれないけど、その正解を見つけることがとにかく難しい。自分なりの正解を考えて、自信がなくても不安と一緒に写真を撮る。もしも最初から正解を明示されたらとても簡単です。 たぶんだいたいの技術職が似たようなものでしょ。お医者さんとか看護師さんも自分がやってる医療が本当に正解なのか不安を感じながら仕事をしているものです。だから写真って考える仕事なのよ。 だけど明確な正解はわからないだけで、だいたいの正解はあります。それから明確な不正解もあります。野球でいうところのストライクゾーンみたいなものです。まずはストライクゾーンを狙う。これはそんなに難しくない。これもたぶんだいたいの技術職が似たようなものでしょ。 「いい写真」と「ダメな写真」という評価軸とは別にもうひとつ「うまい写真」と「ヘタな写真」という評価軸があります。「うまい写真」=「いい写真」ではないんだよね。びっくりだよね。まずはここを誤解しないだけで、これからの写真ライフは豊かになります。 うまくて、いい写真 ヘタだけど、いい写真 うまいけど、ダメな写真 ヘタで、ダメな写真 おおまかに写真はこの4つに分類されます。歌で想像をしてほしいんです。うまくて感動する歌もあれば、うまいけどまったく心に響かない歌もありますよね。ヘタだけどずっと聴いていたい歌だってあるじゃないですか。写真は写真以外から学びましょうね。 写真はうまくならなくていいです。むしろうまさを目指さないほうがいいです。ヘタなままでいいです。ヘタだけどいい写真を目指したほうが圧倒的にいいです。そもそもみんな最初はヘタでだけどいい写真のポジションにいます。だから最初からずっとそのポジションに居続ければいいだけです。 ぼくは写真の専門学校をあっさり中退して、撮影スタジオで30人から50人ぐらいのフォトグラファーのアシスタントをしました。アシスタントとして技術を積んだら師匠のもとでさらに専門的に勉強をしました。それから独立をして仕事が安定するまでに数年かかりました。写真学生から10年ぐらいかかったけど、写真業界的にはありがちなパターンです。 アシスタント1年目で「写真ってうまくなくてもいいんだな」ってことに気づきました。もちろんアシスタントについた写真家は優秀な方々。だけどうまいってわけでもない。もちろんヘタというわけじゃなくて、うまいヘタじゃない良さがある。 「うまくて、いい写真」を目指したい気持ちはわかる。そういう写真を撮る人はいる。だけど全国の写真学生が1年間に1000人卒業したとして一人もいないと思う。数年に一人ぐらいの超天才だと思う。それくらい難しい。 文・写真/幡野広志 (すべて書籍『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』より) ---------- 幡野広志(はたの ひろし) 1983年、東京生まれ。写真家。2004年、日本写真芸術専門学校をあっさり中退。2010年から広告写真家に師事。2011年、独立し結婚する。2016年に長男が誕生。2017年、多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。近年では、ワークショップ「いい写真は誰でも撮れる」、ラジオ「写真家のひとりごと」(stand.fm)など、写真についての誤解を解き、写真のハードルを下げるための活動も精力的に実施している。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『写真集』(ほぼ日)、『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』(以上、ポプラ社)、『なんで僕に聞くんだろう。』『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』『だいたい人間関係で悩まされる』(以上、幻冬舎)、『ラブレター』(ネコノス)がある。 ----------