実際に起きた前代未聞の事件を描く「地面師たち」綾野剛×豊川悦司×大根仁監督が語る“想像以上の舞台裏”
新庄耕のクライムノベルを、綾野剛と豊川悦司のダブル主演で映像化したNetflixシリーズ「地面師たち」が7月25日(木)から配信開始。冤罪事件を元にしたドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-」では、社会派エンタテイメントとして第60回ギャラクシー賞テレビ部門大賞ほか高い評価を得た大根仁監督が、実在の地面師事件に着想を得た新庄による小説を映像化した本作。不動産売買をエサに巨額の金を騙し取る詐欺師集団“地面師”による前代未聞の事件を描く。地面師詐欺の道に踏み込む男・辻本拓海を演じた綾野剛と、巨額詐欺を率いる伝説の大物地面師・ハリソン山中を演じた豊川悦司、そして大根仁監督の3人に、劇中のキャラさながらの妖しさで、本作の見どころと製作秘話を存分に語り合ってもらった。 【写真を見る】どこか危険な匂いがする「地面師たち」豊川悦司と綾野剛 ■「『あの人って、一体なんだったんだろうね…』って、謎を残したかったです」(豊川) ――「地面師たち」は、2017年に実際に起きた不動産詐欺事件にインスパイアされています。まさしく「事実は小説より奇なり」を地でいっているような驚きの事件とも言えますが、映像化するにあたり、“リアリズムと演出”のバランスを取るうえで意識されたことはありますか? 大根「僕が監督する場合は、ドラマであれ、映画であれ、基本的にはリアリズムがベースになってはいるんですけども、今回は“騙す側”、“騙される側”、そして“それを追う警察”の3要素が絡み合って進んでいく話なので、騙される側である企業やサラリーマンたちと、警察側の描写においては、できる限り現実味をもたせたうえで、物語の主軸となる騙す側の地面師たちのほうは、クライムサスペンスとしてのケレン味というか。多少ハッタリを利かせても大丈夫だろうと。キャスティングもしかり、“ハリソンルーム”の作り込みや、キャラクターたちが身に着ける衣裳1つとってもそうですが、犯罪集団ではあるけれど、ちょっとクールでかっこいいというか。観ている人たちがいつのまにか憧れにも近い感情を抱いて途中から応援したくなるような、そんな見え方にしたいという思いがありました」 ――演じる側の俳優としては、どのようなお考えで役に臨まれたのでしょうか? 豊川「僕が演じたハリソンに関して言えば、 観終えたあとに『あの人って、一体なんだったんだろうね…』って、観ている人たちにきちんと謎を残すことが一番大事なんだろうなと思いながら演じてました。彼のやること成すことすべてが、どこか他人事のようでもあり。本当にやりたくてやっているのか、本当に喋りたくて喋っているのか、そこは曖昧にしたかった。そういったある種の“浮世離れ感”みたいなものが、逆にリアリティに繋がるかもしれないなと思いながら。衣裳さんも、持ち道具さんも、メイクさんたちも、ハリソンの造形に関しては、みんな楽しんでやってくれたんじゃないかなと思います(笑)」 ――綾野さんが演じた辻本拓海は、地面師集団の交渉役を務めていることもあり、もっともリアリティに近い立ち位置に見えましたが、どのようなことを意識されましたか? 綾野「本来、反射や反応など、いろんなことに敏感であったほうがお芝居として体感があるのですが、今回はリアクションを抑えることを念頭に置きました。それと同時に、彼は地面師として芝居しているので、いわゆる“二重芝居”にならないように心がけました。役を演じることと、目の前の人を騙すことは、同じお芝居のようでも、属性がまるで違います。僕たちは台本をもとに演じるので、“虚構”に向き合わざるを得ないのですが、彼らは誰かの役を演じているのではなく、あくまでも“事象”や“事実”と向き合っている。そして一歩間違えると当然騙せないこともある。いわゆる“役者脳” という経験に頼り過ぎない姿勢で挑みました」 ■「どのシーンを撮っていても常に想像以上のことが起きて、楽しくて仕方なかったです」(大根) ――そもそも大根監督が現実の事件を知り、もっとも興味を惹かれた部分とは? 大根「あのころ、結構なボリュームで、五反田の地面師事件がメディアで報道されていて。たまたま僕の生活圏内にある場所だったので、より興味を惹かれたところもあるのですが。“地面師”という聞きなれないワードも耳に残ったし、『え!?なに?』『どうやったの?』っていう。いわゆるディベロッパーと呼ばれる大手一流企業に勤めている人たちが、なぜあそこまであっさり騙されたのかということも気になりました。もちろん、地面師集団はいわゆる“義賊”ではないですし、れっきとした犯罪集団ではありますが、それこそ“名もなき犯罪集団が大手企業を騙す”という、ある種のジャイアントキリング的な爽快さもこの事件にはあったような気がしたんです。蓋を開ければ、その構造は意外とシンプルで。とにかく、東京には土地がないから、常に不動産会社が互いに競い合っている。他社に取られたくない。地主に嫌われたくない。騙すほうも騙されるほうも、シンプルな仕掛けの上に起きている。それを基に、新庄先生がエンタメ小説として書かれていたので、『あ、これはいけるな』と」 ――具体的にはどこから物語が動き出すんですか? 大根「僕は作り手より視聴者としての意識のほうが強いので、今回の場合は、『Netflixユーザーとして日本のオリジナルドラマでどんなものを観たいか?』を前提にしつつ、『ここで次にどんなことが起きたら観続けるかな?』って考えながら、セリフとト書きでストーリーを細かく書いていきました。たとえば、今回の作品だと、原作には登場しない倉持という若手の刑事が出てきますけれども、2話あたりを書いている時に、『ここで若い女刑事が出てきたら、観ている人はフレッシュな気持ちになるかな』『地面師事件を追う刑事の辰がリリー(・フランキー)さんなら、相棒は(池田)エライザだったらおもしろいだろうな』みたいな感じで、頭のなかでキャスティングしながら書き進めていくと、どんどんアイデアが湧いてくるんです」 ――綾野さんと豊川さんも監督のイメージ通りのキャスティングだと伺いましたが、脚本を書きながら、「すでにある程度の“画”が最初から見えていた」ということなのでしょうか? 大根「今回は原作があるとはいえ、かなり脚色もしているのですが、僕の場合は脚本を書きながら頭のなかで映像化してしまうというか。こんな撮影で、こんな芝居をしてもらって、こんな編集で、こんな音楽がついて…のように、完成形をなんとなく想像するんです。とはいえ、現場でその通りになってしまうのは一番つまらないことで。どんな作品をやるにせよ、役者やスタッフの力で、自分の想像を現場でどう越えてくるかが肝になるのですが、今回はどのシーンを撮っていても常に想像以上のことが起きるので、楽しくて仕方なかったですね」 ■「集中力とユニークさと狂気が混ざっている撮影現場でした」(綾野) ――監督のなかで想定していたことを越えた場面について、具体的に教えていただけますか? 大根「拓海とハリソンが2人きりで話すシーンのなかに、詐欺の本筋とは関係がない会話が、2~3分くらい続く場面があるんです。たとえば、『ダイ・ハード』の話をしているハリソンの横で、拓海が『これにどうリアクションしたらいいんだろう?』みたいな顔で聴いてたり(笑)。ハリソンがポートエレンを飲みながら、ウイスキーの話から始まり、『物の価値』や『土地とはなんぞや』みたいな話をしたりもするんですが、脚本を書いている時点でもすでに楽しかったものの、このわけのわからない会話を見事に成立させている二人は、現場で見ていて本当におもしろかった(笑)。『もっと撮りたい!』と思いながら二人の芝居を見てました」 ――豊川さんと綾野さんは、そのシーンについてどう感じていらしたんですか? 豊川「おもしろかったですよ。言ってる本人もよくわかってないみたいなところもあるけれど(笑) 、意外とこういう支流にこそ、本筋があるんだろうなっていうのがわかる演出だったんじゃないかなという気がします。普通なら真っ先に編集でカットされがちなシーンですけど、意外とそういうところが視聴者に引っかかったりするから、実は大事だったりするんです」 ――はい。とても印象に残っています。まさしくこの作品を特徴づけるシーンの1つだなと。 綾野「そういった時間を担保できるのも、まさにこの作品ならではの妙でしょうか。2人の地続きにある会話の中にこの物語の本当のスタートラインがある。つまり、ハリソンが発声しない限り、この物語は動かない。それこそがこの作品の持つ魔力であり、作品自体を牛耳っているのです」 ――なるほど。地面師グループの手配師役の小池栄子さんや、法律屋のピエール瀧さん、情報屋の北村一輝さんとの掛け合いはどうでした? 豊川「ストーリー上の関係性とは別に、撮影が進むにつれて俳優同士のチーム感がどんどん生まれてくるのが楽しかったですね。芝居というのは相手役と共に作り上げるものですが、今回のチームは、自分がどうアプローチすれば相手役がより立つかを頭の片隅で考えながらダイアローグを交わせる献身的な役者がそろっていた気がします。この作品は、ストーリー的に固有名詞とか、いわゆる説明ゼリフが多かったりもするのですが、大根監督は何テイクも撮るので、演じているほうはだんだんツラくなってくるんです(苦笑)。大体そういう時は北村さんが喋ってる(笑)。最後までうまく行った時は、自然と拍手が湧きました」 ――なんと! 撮影の舞台裏でも、あの“ハラハラドキドキ”が繰り広げられていたとは…! 綾野「現場には、集中力とある種のチャーミングさが共存していました。集中し続けることも容易ではないのに、そこにユニークさと狂気が混ざっている。豊川さんがおっしゃったように、誰もが常に相手を感じながら芝居を交わしていましたし、大根さんはとてもフレキシブルに役者から出力されたものを受け止めてくださり、そのうえで監督自身が見たいものとハイブリッドされていく。まるで繊細に網目を縫っていくかのようでもあり、いつでもほどけるぐらいのフレッシュさでもあって。だからこそ、この現場でしか起こり得ない事象を映像に焼きつけることに集中できました」 ■「クリエイションに対する熱狂と執念と誠実さをもって、向き合いたいです」(綾野) ――新庄先生が、「地面師というのは特殊な人たちではあるが、詐欺に対する彼らの執念と狂気は、創作と向き合う時の自分と近しいものがある」とお話されていたのを拝見したのですが、目的は違うにせよ、クリエイティブに身を投じるあまり、狂気のようなものに触れることもあるという意味では、監督や役者の仕事においても、共通項があったりしますか? 大根「フィクションの作品を作るうえでお客さんをいかにうまく騙して楽しませるかという点においては壮大な嘘をついているということで、つまり我々も大きな詐欺集団であると捉えられなくもないというか(笑)。特に役者の皆さんは、子どものころにやっていた“ごっこ遊び”が壮大な規模でずっと続いているような感覚もあったりすると思うので。こんな楽しいごっこ遊びは、芝居のほかにないですよね」 豊川「まぁ、突き詰めるとそういうことになりますよ(笑)。そもそも、僕自身はこういう仕事に就けていること自体がすごくラッキーだと思いますし。なろうと思っても、なかなかなれるものでもないし、やり続けたくてもやり続けられる環境かどうかは、別の話だったりもしますから。僕は、この『地面師たち』という作品に登場しているキャラクターたちは、自分が一番欲しいものがなんなのかがわかっていない人たちなんじゃないかなと思うんです。『お金のため』とは言うけれど、きっとそれだけではないはずで…。たとえば、自分を鼓舞できるものであったり、自分の命と引き換えにできるようななにかを求めている。そういう人たちの話だからこそ、観ている人たちも夢を見ることができると思います」 綾野「それぞれの人間の人生を、映画ならおよそ2時間、ドラマなら大体10時間、今回の場合なら7時間弱で描こうとすること自体が狂気じみているのかもしれません。ですがその圧縮された濃厚な役たちの人生を、皆様に"体験"して頂くことで役たちの存在証明が完成するのだと確信しています。だからこそ純粋に『観たい』と感じてもらえるよう、クリエイションに対する熱狂と執念と誠実さをもって、向き合いたいと思っています。作品(エンタメ)は観る方々のイマジナリーによって成り立つものであり、その力にずっと救われ続けているからこそ、僕らは作品と向き合い続けられるのです」 取材・文/渡邊玲子