トラン・アン・ユン監督最新作『ポトフ 美食家と料理人』レビュー──美しい田園地帯を舞台にした極上のご馳走映画
『青いパパイヤの香り』(1993)や『ノルウェイの森』(2010)などで知られるトラン・アン・ユンが監督を務め、第76回カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した『ポトフ 美食家と料理人』が、12月15日(金)に公開される。ミシュラン三ツ星シェフのピエール・ガニェールが料理監修を務める本作の見どころを、篠儀直子が解説する。 【写真つきの記事を読む】ピエール・ガニェール監修の美味しそうな料理の数々と見どころをチェック!(全11枚)
映画を観ること自体の悦びを思い出させてくれる傑作
トラン・アン・ユン監督が、7年ぶりの新作をひっさげて参加したカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。フランスが誇るトップ俳優ふたりの共演。料理監修はピエール・ガニェール。と、話題に事欠かない作品だが、どれだけ期待してくれてもかまわない。美しい田園地帯を舞台に美食の世界を描く『ポトフ』は、これ自体が極上のご馳走だ。 1885年のフランス。斬新な料理を次々考案し、「料理界のナポレオン」とも呼ばれるドダン(ブノワ・マジメル)と、それを実現する料理人のウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)のコンビは、とある森のなかのシャトーで、美食家たちを日々魅了している。20年来ふたりは仕事も生活もともにしているが、自立心あふれるウージェニーは、ドダンからの求婚をかわしつづけていた。助手のヴィオレット(ガラテア・ベルージ)が、ある日、姪のポーリーヌ(ボニー・シャニョー・ラヴォワール)を連れてくる。彼女は絶対音感ならぬ「絶対味覚」の持ち主だった。ポーリーヌを料理人に育てたいと、ウージェニーは彼女の両親に伝える。 招かれてユーラシア皇太子の晩餐会に出席したドダンは、豪華なだけで「論理も方針も秩序もない」メニューに辟易する。そこで彼は返礼というかたちで、自分の哲学を表現するメニューで皇太子をもてなそうと考える。だがそのころ、ウージェニーの体調には気がかりな点が見えはじめていた。彼女をいっそう近くで支えようと、ドダンはみずからコース料理をふるまって正式にプロポーズすると同時に、皇太子のためのメニューの完成を急ぐのだが……。 というのが中盤までのプロットだが、この映画の素晴らしさをわかっていただくには筋書きを書くよりも、冒頭の30分、午餐会が終了するまでのシークエンスを語るのがいちばん早いだろう。シャトーの前の菜園でウージェニーが野菜を収穫し、朝食を準備してドダンらと食べる。そのあと、ドダンの美食家仲間たちを招いた午餐会のための調理が始まる。 作業するウージェニーとドダン、ヴィオレット、ポーリーヌの動きを、キャメラはとぎれることなくパンしながら追いつづける。それだけのことが、なんと興味深くスリリングに感じられることか。人物の行動を的確に描写しさえすれば最高のスペクタクルが生まれるのだという、何やら〈映画〉の真髄に触れたかのような思いさえする。それに加えて、わきたつ湯気、具材を炒める音、鍋のなかでぐつぐつと煮こまれる音、料理人たちの足音。この場で感じられる五感をすべて伝えようとするかのような描写だ。 映画が開始して15分ほど経ったところで、午餐会が始まる。並行して厨房ではメイン料理とデザートの仕上げが進む。客たちの様子、調理の様子を、ひきつづきキャメラは流麗な動きでとらえる。そのなかでたびたび、一瞬の静けさが訪れる。調理の合間に席について食事をするポーリーヌやヴィオレットと、同じく食事をするウージェニーとが向かい合って会話をするのだが、このときキャメラは、彼女たちと同様しっかり腰を据え、静止した状態で切り返しを行なう。流麗に動くキャメラと静止するキャメラ、このメリハリが観る者をいっそう映画のなかへと引きこむ。 見るべきものは人物の動きだけではない。調理道具、室内を飾る調度品、画面に映るものすべてがわたしたちの目を驚かせ、悦ばせる。この映画はわたしたちに、映画の画面を見つめ、映画の音を聴くことの、すなわち、まさに映画を観ること自体の悦びを思い出させてくれるのだ。 悦びといえば、この映画ににおいてもちろん食は、恋や性の悦びとも重ね合わされる。しかし明確な性描写がなされるわけではない。料理やワインの香りのごとく、性は気配としてただよう。互いを自立したプロフェッショナルとして認め合う、ウージェニーとドダンのカップルが魅力的なのは言うまでもない(ジュリエット・ビノシュとブノワ・マジメルが、私生活でも一時期パートナーだったことを思い出されるかたもいるかもしれない)。 「ここで終わるか!」と感嘆させられる終わり方も素晴らしい。受け入れられないほどの喪失を経験しても、なおも人生は続き、悦びはそこにある。 『ポトフ 美食家と料理人』 12⽉15⽇(⾦)Bunkamura ル・シネマ 渋⾕宮下、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか、全国順次公開! 配給:ギャガ ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA 公式ホームページ:https://gaga.ne.jp/pot-au-feu/ 篠儀直子(しのぎ なおこ) 翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』(青土社)など。 編集・横山芙美(GQ)