愛知・赤レンガ建物が観光施設に 幻のビールも味わえる
明治の歴史的建造物が改修をへてオープン──。愛知県半田市の「半田赤レンガ建物」が18日、約1年の改修工事を経て、観光施設としてオープンの時を迎える。1898年(明治31年)にカブトビールの製造工場として完成した赤レンガ建物は、現存している数が極めて少ない貴重なビール工場の遺構。戦後は食品会社が所有するなどしたが、後に同市が買い取り、国の登録有形文化財に登録された。また、ここでは幻のカブトビールを味わうことができ、関係者は「明治の起業家の熱い思いと歴史の重みを感じながら味わって頂きたい」と話している。 いま脚光を浴びる日本の「赤煉瓦」建築とその魅力
明治時代のレンガ建物は日本で4番目の規模
半田市は、酢や酒などの醸造業が古くからさかんで「ミツカン」や「中埜酒造」のほか日本最大の瓦メーカーである「鶴弥」も本社を構えるなど、ものづくり精神が根付く土地。明治31年(1898年)に「カブトビール」の製造工場として完成した赤レンガ建物は、明治時代に建てられたレンガ建物としては日本で4番目の規模を誇るという。 横浜赤レンガ倉庫、日本橋の装飾部分などを設計した明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄(つまき・よりなか)が手がけた建物で、中空構造の壁や多重アーチ床など、温度・湿度を安定に保つ必要があるビール工場の特徴が現在も館内の随所で見られる。
歴史ある赤レンガ、今もなお戦争の爪跡が
1898年にビール工場として完成し稼働を始めた後、第2次世界大戦により、1943年にビールの製造が停止となった。その後、戦時中は中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使われ、今でも空襲の際の機銃の跡が北側の外壁に残っている。 戦後は、日本初のコーンスターチ製造会社に買い取られたが、1994年に建物を手ばなし、解体作業に着手した1996年に半田市が買い取った。補修などが施され、2002年から年数回限定で公開されるようになったが、今後は通年見学できるようになるという。
4大メーカーに真っ向勝負を挑んだビール
さて、先述の「カブトビール」とはいったいどのような会社だったのか。1889年、中埜酢店4代目でミツカンの創業家の家督を継いだ中埜又左衛門と、おいで敷島製パン創業者の盛田善平らによって「丸三ビール」と名づけられたビールが、半田から初出荷された。これが後のカブトビールとなる。 1890年には、パリ万博に出品し金賞を受賞。地方の、しかも後発のビール工場が日本のビール黎明期である明治時代に、キリン、アサヒ、サッポロ、ヱビスの大手企業に真っ向から挑戦するという斬新な販売戦略で、5大ビールメーカーとも呼ばれるまで成長した様子は、館内の展示でも知ることができる。 1906年に営業を譲渡したが、カブトビールの製造は1943年まで続いた。