いまや9億円で取引される「デイトナクーペ」にもっと乗っておけばと後悔! 最後はキャロル・シェルビー御本人がお買い上げ【クルマ昔噺】
日本での販売価格は450万円!?
日本グランプリ以後1968年までは国内でレース活動をしていたのだが、その後このクルマはなんとロードカーとして再生されたのである。ナンバーが付いたこのクルマには、本来のフォード289レーシングユニットから、302cu.in.のロードユースユニットにエンジンを載せ換え、トランスミッションもボルグワーナー製の4速MTから3速のオートマチックに載せ換えられていた。 僕のいた会社にやって来たときは京都ナンバーが付いていたので、てっきり京都でロードカーにコンバートされたのかと思いきや、じつはそれ以前に品川ナンバーが付いていたことが判明。最後のレースドライバーとなった明珍和夫がどうやら東京でドライブを楽しんでいたらしい。そんなクルマがわが社にやってきた。といっても正直その当時はフェラーリに夢中で、コブラと言われてもピンとこなかったのが本音。じつに惜しいことをした。 僕がいた会社はこのクルマをトミタオートから購入した。しかし、もともとはレーシングカーである。たとえロードカーにコンバートされたとはいえ、街乗りには全く不適当。しかしだからといってエンジンに火を入れないとクルマがダメになるということで、定期的に火をいれた。じつはその役目を仰せつかっていたのが僕だった。というわけで、乗ったというよりも少し動かしたというのが正しい。 ガスケット類が新品だったからなのか、あるいは締め付けが緩かったからかは不明だが、エンジンをかけると至る所から煙が上がった。ステアリングはたしかVWビートル用だったと記憶する。そんな細いリムのステアリングが付いていたが、はたしてあれで大丈夫だったのだろうか。もちろんパワーアシストなどない時代である。まあ、レース用のステアリングではロースピードでハンドルを回すのはほとんど不可能だったのだろう。 さてこのクルマ、いつの間にやら会社から消えていた。あとで聞いた話だが、購入したのは代理人を通して買ったキャロル・シェルビーご本人だったようである。というわけで、その後長くキャロル・シェルビーの元にあったが、売却され、その後アルゼンチンにいったとのこと。その話をしてくれたのは、このクルマをデザインした張本人のピート・ブロック氏である(2015年頃の話だ)。 日本での販売価格はたしか450万円! 当時はそんな値段が適当だったのかもしれないが、ちなみに中古の「ディーノ246GT」と同じ値段だ。ところが最近のオークション価格(だいぶ以前だが)では、最高で9億円以上がつけられた。もしまた売りに出たらさらに高い価格がつくことは間違いない。 僕が学生時代の450万円は9億から比べたら全く途方もない数字ではなく、気分としては1千万円ぐらいの感覚だったろうか。無理しても買っておくべきクルマだったが、まあ無理できなかっただろうと思う。それにしても一度は動かし、何度かはコックピットにも収まったことが懐かしく感じる。
中村孝仁
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