「過去5年で倒産が最多」「10年間で8000店近く減少」のゲーセン。大量閉店の背後にある”本質的な変容”とは?
実際、帝国データバンクによれば、ゲームセンターでは、100円の売り上げに対して利益が6円というデータもあり、その厳しさがわかるだろう。 このように、コスト的な問題がある一方で、筆者は、ゲームセンターの「空間的な価値」が減少してしまったのではないか、と考えている。 ■「だらだら過ごす」空間としてはもう厳しい…? 最近、筆者は、筆者(26歳)と同年代か、それより下ぐらいの年齢の人を中心に、彼らが都市をどのように使っているのかを調べている。具体的には、彼らがどのような場所で滞留したり、居座るのかを調べている。
その中で感じるのは、特に若年層を中心に「せんだら」(1000円以内でだらだらできる場所)を求める人が増えてきている、ということだ。 例えば、その需要にうまく乗ることができているのが、チェーン系のカフェ。特に都内の場合、どのカフェに行っても混んでいるが、これはある程度の値段で長居することができるからだ。 東京の場合、公園や広場などでだらだらする場所があまりなく、結果としてこうしたカフェがその受け皿になっている。筆者がこれに関するポストをXでしたところ、大きな反響があり、これは多くの人が思っていることのようだ。
若者にとって「せんだら」需要をどのように満たせるのかが重要であり、そこにうまく適応できている店が強みを持っていると感じている。 そして、この「せんだら」需要にうまく乗れていないのが、昨今のゲームセンターなのではないかと思うのだ。 実は、ゲームセンターの歴史をたどっていくと、そこは、若者にとっての「せんだら」需要を満たしていた場所だったことがわかる。ある時代まで、ゲームセンターは若者がぶらぶらと集い、コミュニケーションを取る場所として機能していたようだ。
加藤裕康は『ゲームセンター文化論』という本の中で、かつてのゲーセンが若者たちにとって、どのような場所だったのかを書いている。 この中では、ゲーセンに集った人々が、お互いのことをハンドルネームで呼び合い、また、ゲーセンの中にあった「ゲーセンノート」というノートの中で若者特有のコミュニケーションが生まれてきた様子が書かれている。 若者が集い、たむろする場所としてゲーセンがあったことがわかる。 ■さまざまな若者を受け入れ続けてきたゲーセン