失敗して「才能がない」と思う人に伝えたいこと 結果だけ見れば「成功」は華々しく見える
運に関する私たちの評価は時間とともに変わることもある。状況や入手できる情報によって、同じ出来事でも解釈はまったく違ってくる。 厳しい状況でやめてしまえば、不運として終わってしまう。他のエンディングの可能性が残っているのに、物語を完結させてしまうことになる。 私が共同創設者となった組織が破産しかけたとき、私は何をやっても裏目に出るような気がした。組織のアイデンティティも私自身のそれも、脅かされているように感じた。
だが長い目で見れば、これは組織にとって幸運なことだった。投資家と距離を置き、コミュニティに軸足を置いた運営に舵を切ったことは、組織のアラインメントと持続性にプラスだった。 ただ、それは後になって初めてわかったことであり、そうなるまでに感情的な浮き沈みをたくさん経験しなければならなかった。主要メンバーがあれほど粘り強くなかったら、まったく違う結果に終わっていた可能性もあった。 私は今でも高校を退学させられた日のことを覚えている。退学になっただけでなく、同じ学年をもう1回やり直さなければならなかった。
放校自体、愉快なものではなかったし、もともと拒絶される恐怖や疎外感を常に抱いていたので、なおさらだった。 新しい学校では先生には恵まれたが、それでも私がアビトゥーア(ドイツの大学入学資格試験)に合格したのは奇跡としかいいようがなかった。 悲惨な高校の成績表と、何とか体裁を整えた願書を用意し、私は40以上の大学に出願した。 チャンスを与えてくれたのは、小規模で進取の気鋭に富む応用科学系のフルトヴァンゲン大学だった。その後はLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で修士号と博士号を取得し、最終的にNYU(ニューヨーク大学)とLSEで教壇に立つことになった。
■私の人生の2つの伝え方 こんな私の経歴は、2通りの伝え方ができる。高校卒業後はフルトヴァンゲン大学に行き、さらにLSE、NYUと順調にキャリアを重ねました、というのが1つ。「努力と、多少の幸運に恵まれたおかげです」と。 もう1つはもっと生々しい伝え方だ。高校を落第し、さらに自分を引き受けてくれる大学探しにも苦労した。遅まきながら勉強に目覚めて何十という大学に出願し、通学している大学以外の遠くの大学の講義にも参加してスキルを磨いた。