椎名林檎や.ENDRECHERI.のサポートを務める竹内朋康。彼がひとつの場所に留まらない理由
自由に活動できることが俺にとっては何よりの財産
ーー2008年のSUPER BUTTER DOGの解散以降は、メジャーのフィールドでパーマネントに活動するバンドはもうやらなくていいと思ったということなんですかね。 「そうですね。もうやらなくていいかなと」 ーー解散直後もそう思ってましたか? 「解散直後はけっこう複雑でしたね。ただ俺はマボロシ(RHYMESTERのMummy-Dとのユニット)とかもやっていたので。バタードッグの解散に関しては──もう、(永積タカシに)ハナレグミ一本でやったほうがいいよって思ってたし」 ーーSUPER BUTTER DOGは解散後に、竹内さんであり、永積さんのハナレグミであり、池田さんのレキシ、それぞれ独立した活躍をしていって。日本におけるファンクミュージックに対する理解度も含めて、解散後に本質的な評価を得た側面もあったと思うんですね。あとから時代が追いついた的な。 「そうっすね(笑)」 ーーそのあたりは複雑な思いはなかった? 「いや、別に俺はファンクシーンを背負ってるわけでもないから、そういうのはないですね。でも、ヒップホップの連中ってヒップホップシーンを背負うじゃないですか。俺はその考え方もあまり理解できなくて」 ーーいわゆるレペゼンする感覚が竹内さんにはあまりない? 「そうそう。たまたまファンクが自分の根本にあるだけで、それを背負ったり押し付けることはしたくなくて。俺の音を聴いて、ファンクをちょっとでも感じてもらえたらそれで良くて。昔からそういうスタンスですね」 ーーでは、なぜここまでギターにのめり込んだんでしょう? 「自分でも不思議だなと思うんですけど、結局、俺はギターというより音楽をやるのが好きなんですよ、根本的に。小学4年生の時に、ブラスバンド部に入ったのが音楽を好きになるきっかけだったんです。最初はトランペットを吹きたかったんだけど、先生に『口の形がトランペットじゃないからトロンボーンにしたほうがいいよ』って言われてトロンボーンを始めて。基礎練習して吹けるようになって、50人くらいでマーチを合奏したんですね。そしたら俺、その瞬間にもうすごい鳥肌が立っちゃって」 ーーそれが竹内さんの原体験だったんですね。 「そう! その感動、その衝撃のまま今も音楽を続けてるんですよね。それで、中学、高校とブラスバンドを続けながらバンドもやって。中学の時はハードロックで、高校に入った時にブラバンの植田薫先生がファンカデリックの『マゴット・ブレイン』をカセットテープにダビングしてきてくれて。そこからファンク、ブラックミュージックが好きになるんです。毎晩のようにファンカデリックをコピーしていたら、だんだんアドリブがわかってきて。そこからですね」 ーーそもそもなんでギターだったんですか? 「それは……モテたいから。それだけなんですよ(笑)。でも、すごく自分に合ってたんでしょうね。アドリブが大きなポイントだったんです。トロンボーンは譜面を見たら吹けるんだけど、アドリブはどう頑張ってもさっぱりできなかった。逆にギターは譜面で弾けないんだけど、アドリブがわかるようになったんです。それがデカい」 ーーとにかく自由に弾けるというのが重要なポイントだった。 「そうそう。もしトロンボーンでアドリブができたら、ずっとトロンボーンを吹いてたかもしれないです」 ーーそのバンドがバタードッグの原型なんですか? 「原型ではないですね。プロになりたいバンドでもなかったし。でもそのバンドはNHKの『BSヤングバトル』っていうアマチュアの大会で勝ち残って、全国大会まで行って、NHKホールまで行ったんですよ。その時の優勝がシャ乱Qで、僕らのジョアンヌ竹内 & MONKEY PUNCHというバンドは2位でした」 ーーそういうコンテストにはけっこう出ていたんですか? 「片っ端から出てましたね(笑)。地元が福井の鯖江で、中学生とか高校生だと、そういう機会でしか人前でやる場がなかったんですよね。福井市だったら違ったのかもしれないけど……」 ーープロになることは目標としていなかったんですかね。 「音楽で飯食って行きたい気持ちはあったんですけど、メジャーに行くと揉めそうだし、インディーズでもいいと思ってたんです。でもメンバーとも話し合ってメジャーに行くことにして」 ーー竹内さんはバンドのリーダーだったし、意見をまとめなきゃいけないですよね。 「でも俺がリーダーだったのって、最初の頃なんですよ。途中からはもうリーダー不在になって活動続けてましたけど」 ーーちなみに、竹内さんの音楽人生における出会いの中でターニングポイントとなった人を挙げてもらうことはできますか? 「………………(しばらく熟考して)永積タカシ、Mummy-D、堂本剛。この3人が自分の音楽人生の中ではデカいですね。みんなもともと友達でもあって。高校生の頃、植田先生がファンクを教えてくれて、彼がいなかったらファンクを追求することはなかったと思うんです。でも先生と出会えて、永積タカシだったり、同志が近くにいたからこそ、SUPER BUTTER DOGを組めて、メジャーデビューもできたと思うし」 ーー今でも会うことはありますか? 「連絡したり会うことはないですね。Mummy-Dは、彼をきっかけにヒップホップの人たちと繋がることができたので。たぶんラッパーを知ってるミュージシャンとしては、俺けっこうトップなほうだと思いますよ(笑)。それはMummy-Dとマボロシを組んだおかげでもありますね。堂本剛も本当に大きな存在ですね。彼は自分の音楽をやりたいという気持ちがすごくあって、それがミュージシャンとしてシンパシーを覚えるところで。人にやらされるんじゃなくて、とにかく自分がこうやりたいというヴィジョンがあるから」 ーー多くのメンバーをバンドに呼び込んだという意味でも、剛さんもまた竹内さんと出会わなかったら、今の.ENDRECHERI.はないと思ってるんだろうし。 「そうかもしれないですね。.ENDRECHERI.はバンド的にグルーヴがまたすごく太くなってるような気がします。ガクちゃん(キーボーディストのGakushi)が入ってからより芯が太くなりましたよね」 ーー今月号の表紙は剛さんが飾るんですけど、新しいフェーズに立っている彼にどんなことを期待したいですか? 「いやぁ、もうこのまま自分の音楽を貫いてほしいですね。ただ、俺はちょっと耳の状態を心配してます。無理はしてほしくないなって。でも、ちゃんとバランスを取って自分をケアすることも彼だったらできると思うので。ヴィジョンをしっかり持ってるし、そういうところもすごいなと思うんですよね。ファンに対するメッセージの発信の仕方を見ても愛があるし」 ーー竹内さんは竹内さんで自由に音楽と生きていくし。 「そうっすね! メジャーでやると〈売れるもの〉っていうのが大前提にあるじゃないですか。それをミーティングして決める時間が……すごく嫌いだったんです(笑)」 ーー今こういうのが流行ってるから取り入れましょうとか。 「そう。フィーチャリングで誰々を迎えようとか、音楽を話し合いでやっていくのがずーっと腑に落ちなくて。でも今みたいに自分でやりだすと、いろんな人との出会いが待っていて、自然とこの人とやってみようってなる。『それじゃあビジネスにならないよ』って言う人もいるかもしれないけど、そういうふうに自由に活動できることが、俺にとっては何よりの財産なので」
三宅正一