大切なのは「自分は天才じゃない」と認めること。稀代のヒットメーカー・つんく♂が考える「凡人が天才に勝つ方法」とは?
凡人が天才に勝つ方法 #1
「残念ながら、僕は“天才”じゃなかった」。稀代のヒットメーカー・つんく♂による「note」の人気連載が、約3年を経て書籍化された。自分のなかに眠る才能を劇的に伸ばすためには、一体何が必要なのか。 【関連書籍】凡人が天才に勝つ方法:自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール
『凡人が天才に勝つ方法』(東洋経済新報社)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
凡人が天才に勝つためのステップ①| 「自分は天才じゃない」ことを認める
前述したように、僕は「天才」ではありません。 それでも数多くのヒットを飛ばし、プロデューサーとしても結果を残すことができました。 それはなぜか。 自分が「天才」じゃないことに気づけたからです。 自分を「天才」だと思い込もうとしていた、売れない時代の僕 多くの人は、自分に対して「期待過剰」 なんだと思います。 「自分ならもっとやれるのに」 「自分にはもっと才能があるのに」 そう考えがちです。 僕もそうだったから、すごくよくわかるのです。 ここで、僕が調子に乗って自分の能力を過信していたころのことを紹介します。
アマチュア時代~デビュー直後のエピソード
①アマチュア時代 大阪でバンドを始めたアマチュア時代。 まだ学生で、チラシづくりから集客、宣伝まですべて自分たちでやっていました。 そのうえ学業にアルバイトにライブにライブの稽古と、忙しさにかまけて、思えば年間3~4曲しかつくっていませんでした。 そのくせ、雑誌に出ている新人バンドやテレビで見かける新人アイドルの曲を聴いては、悔しい気持ちを抱えていました。 「俺もこれくらいの曲、真剣にやったら、いつでも書けるわ!」と愚痴ってみたり、世間を批判したりしていました。 ②名ばかりのプロ時代 大阪で人気バンドになり、なんとかプロデビューできましたが、売れない時期が続きました。 それでも、曲がりなりにもプロですから、レコーディングでは録音のプロがいて、コンサートではプロの舞台監督がいて、完成したCDをプロモーションするプロがいて……全部、誰かがやってくれました。 宣伝から集客まですべて自分たちでやっていたアマチュア時代と違い、自分の時間を100%使って「売れる曲をつくればいい」という恵まれた状況にもかかわらず、それに気づきませんでした。 そうやってつくれた曲は、ボツを含めてたかだか年間20~30曲。採用されるのは4、5曲程度だったように思います。 ディレクターやプロデューサーに「これじゃあ、シングルにできないね」「やっぱり才能ないんじゃないか」なんて言われて、「あの程度のスタッフに俺の才能をあやつる能力はないね」 などと愚痴ったり、塞ぎ込んだりするだけ。 そして「お金が足りない~」「楽器や機材が揃わない~」「ちゃんとしたスタジオで曲つくらせてくれ~」「宣伝が下手だから売れない!」「暇や~」「腹減った~」「無理~」「こんなんじゃ、ひらめかない~」と、人や環境のせいにしていました。