「こんなものは公開しない」日活が異例の納品拒否した黒沢清監督のロマンポルノ作品が『ドレミファ娘の血は騒ぐ』になったわけ
黒沢 撮ったものが無駄にならず、パルコ劇場で公開されて、ああいうものにしては結構客が入ったんですね。変なものだということで。それはもちろん伊丹さんとか洞口さんの力もあったんですけれども。だから、結果としては決して悪くないことになったんですけど、僕の中では、本当に商業映画というものの恐ろしさというか、僕たちが8ミリでやっていた自主映画とは全く違う、商業映画のそそり立つ壁みたいなものをものすごく感じた作品ではあった。なので、この壁を無視して自主映画で行くか、何とか乗り越えて向こうに行くか、あわよくば崩したいんだけど崩れるのかという、どの選択で今後映画にかかわっていくんだろうというのを考えさせられる事態にはなりました。 ※その後、『スウィートホーム』やVシネマを撮られた時のお話も興味深かったのですが、字数の関係で掲載できません。完全版は今後予定されている書籍版でお楽しみください。以下、インタビューの終盤だけ掲載します。 ―― 最近、黒沢さんはフランスとの合作も多くなってきましたが、日本映画の中でではなく、世界の映画の中でいかに突き抜けるかみたいなことを考えて作られているんですか? 黒沢 あんまりそういうことを深刻に考えてはいませんが、しかし、やはりアメリカ映画は腐ってもアメリカ映画というか、別格。ひどいものもいっぱいあるんですけど、アメリカ映画の本当にすごいものは今も昔もかなわないなと思います。ですから、日本映画でそれに対抗しようとしてもどうしていいか分からない。まっとうに対抗できれば美しいんですけど、よくできたハリウッド映画とは違うものを目指すしかないんだろうというのは、今でもそう思います。いろんな国の映画があってすべて見ているわけではありませんけど、どの国もそれなりにちゃんと考えている人は、ハリウッド映画との距離を考えている。真似してもたぶん無理だなと。じゃあ、どうやって違うものにするかということを、あれこれ工夫して作っていらっしゃるんだろうと思いますね。僕も日本で撮る限り、そうなんだろうと思います。 ―― 8ミリを撮っている時は、商業映画には規模的にかなわないから、違うことで勝つ戦略を考えよう、と作られていましたが、その延長線上で、今はハリウッドに勝つための戦略を考えているのですね。
黒沢 勝つというか、勝てないので、それでも映画を撮り続けていく根拠をつかむには、違う方向をということだと思いますね。 ―― その結果としてフランスで評価されて、そっちの資本で撮ることにつながってきたのかなと思います。 黒沢 フランスも、ハリウッドに対抗しても無理だからどうしようと、いろいろ試行錯誤している。韓国も同じだと思います。だから、世界中、やっぱり相変わらずハリウッド映画はすごいなということからの距離として、自分の国で皆さんやってらっしゃるのだろうと思います。 注釈 1)中抜き 1カットの中で動きの途中を飛ばした編集をすること。ジャンプカット。
小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル