思想家・安藤昌益が小惑星名に 発見の天文家、青森・八戸市の資料館に命名額寄贈
江戸時代中期に八戸に住んだ思想家・安藤昌益(1703~62年)の名前を冠した小惑星「(21121)Andoshoeki」が誕生した。1992年に北海道のアマチュア天文家2人が新たな小惑星として発見、2021年に命名された。2人のうち札幌市の渡辺和郎(かずお)さん(69)が、発見時の写真と小惑星の軌道、命名時の国際天文学連合の公表資料の抜粋などをまとめた命名額を6月22日、青森県八戸市八日町の安藤昌益資料館に寄贈。同資料館は、額の展示を始めており、昌益をよりスケールの大きな存在ととらえて発信していく考えだ。 八戸市の「安藤昌益資料館を育てる会」は6月22日、渡辺さんを講師に招いての講演会を同市の八戸プラザホテルで開催。出席者約40人が、命名を祝福した。800個以上の小惑星を発見してきた渡辺さんは取材に「喜ばれるのであれば発見者冥利(みょうり)に尽き、うれしい」と話した。駆け付けた「安藤昌益の会」事務局長の石渡(いしわた)博明さん(76)=東京都=は「世代を超え昌益が記憶、記録される契機」と語った。 会場には、命名の橋渡し役の一人となった川口和彦さん(70)=茨城県高萩市=も訪れた。川口さんは、日本初の経緯線入り地図を完成させた高萩市出身の地理学者、長久保赤水(せきすい)=1717~1801年=を顕彰する「長久保赤水顕彰会」の理事で、長久保の天文学者としての功績を伝える「天文学史と長久保赤水」(同会刊行)などを執筆している。 川口さんが、安藤昌益と長久保赤水を、小惑星名として命名してほしい-と渡辺さんに打診、小惑星「Andoshoeki」「Nagakubo」が誕生した経緯がある。川口さんは「二つの小惑星は兄弟」とし「命名を契機に、全国各地の昌益研究者のネットワークが構築されたらうれしい」と期待を寄せた。 八戸市の関係者は喜びに沸いている。安藤昌益資料館を育てる会の根城秀峰会長(69)は、小惑星が発見された1992年が、同市で昌益国際フェスティバルが開かれた年でもあることに驚き感動した-とし、「昌益の思想は世界、宇宙観を持っての議論が求められており、命名はありがたい」と語った。渡辺さんから命名額を受け取った安藤昌益資料館館長の三浦忠司さん(76)は「国際フェスにより昌益の認知度が高まり英訳本も広まった。小惑星に名前が付いたことで、昌益を全宇宙的な広がりを持つ存在と認知してほしいし、そのように発信し、伝えていきたい」と述べた。 ◇ 小惑星「(21121)Andoshoeki」の特徴と発見・命名の経緯 ややつぶれた楕円(だえん)軌道で太陽の周囲を約3.76年で一周する。直径約3.7キロと推定され、小惑星の中では大きな部類。今年6月22日時点では19.6等星で、電子望遠鏡で光を集積しないと見えない。地球に最接近すれば16等星ほどになる見込みという。 1992年11月16日に、北海道美幌町のアマチュア天文家・円舘金(えんだて・きん)さん(63)が撮影した写真を基に、札幌市のアマチュア天文家・渡辺和郎(わたなべ・かずお)さん(69)の精密な位置測定により、新たな小惑星と認知された。「1992WV」という仮符号で観測が続けられ、2001年2月8日に小惑星(21121)として番号が登録され、位置を知ることができるようになった。国際天文学連合の小天体命名委員会が21年5月14日発行の「WGSBN会報」で「Andoshoeki」という名前の小惑星の誕生を報じた。