両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.4
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
本物だが、偽物
時間をいくらか巻き戻す――取材班がクロエを追ってミャンマーに入る前、タイで〈イギリス人の組織〉のメンバーたちと今回の計画について話し合っていたときのことだ。 「このカードじゃ、危ないですね」 運び屋とともにバイクで国境を越え、さんざ苦労して手に入れたピンク色のIDを見るなり、ビルマ族の協力者は溜息をついた。約4カ月前、篤志家の援助を得た〈イギリス人の組織〉が運び屋を用意し、クロエに本物だが偽物の「国民登録IDカード」を取得させたのだった。 本物だが、偽物のIDカード――。 このIDを発行したのは、とある地域の本物の役所である。使われているピンク色の紙も本物だし、貼られているクロエの写真も、IDを発行する役所で撮影され、指紋もその場で捺した。 IDには〈家族構成一覧表〉に記録されている生年月日や民族の名前(カレン族)、宗教(キリスト教)、身体的特徴(左目の下にホクロ)などが発行責任者の直筆で記され、署名も入っている。この紙をコーティングするプラスチックも、実際に役場で使われているものだ。 それでも、このIDが偽物なのは、カードの中に1カ所だけ、後から記入した欄があるからだった。さっと眺めただけでは気づかなかったが、ビルマ族の協力者の指摘を受けて、まじまじと見つめると分かった。同じペンで書かれていても、その欄だけほんのわずかに筆跡が違うように思われる。 「政府は〈国民登録IDカード〉を推進するため、最低でも年に1度、特定期間をアナウンスし、その期間中にかぎっては、実質的に登録審査を緩めるキャンペーンをおこなっています。ここに書き込まれているのは、今年のその期間ですが、実際にはこの時期にIDを申請したわけではありませんよね?」 まさに指摘通り、クロエが密入国して役場へ行ったのは、その期間より前のことだった。顔を真っ赤にして、押し黙ってしまったクロエを見て、〈イギリス人〉が事情を説明した。 「彼女には戸籍さえなかった。だから10カ月前、産みの親の村へ行って〈家族構成一覧表〉を回収し、地元の役人に金を払って、彼女の名前を入れた。でも、ピンクのIDまで同じルートで頼むと危ない。だから別のルートを使って、IDを出してくれる役場を探したんだ」