世田谷一家殺害事件から23年 毎日カレンダーに“斜線”引く 風化させない…92歳母の思い「朗読劇」に
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東京・世田谷区で、宮沢みきおさん一家4人が殺害された事件は、未解決のまままもなく23年となります。犯人逮捕の連絡を待ち続ける、みきおさんの母は今年92歳になりました。残された時間が限られるなか、母の思いが1つの「朗読劇」になりました。 ◇ 東京・世田谷区にある住宅街の一角、公園で遊ぶ子どもたちの奥に、白いフェンスで囲まれた一軒家があります。23年前、この家の中で、宮沢みきおさん一家が殺害されました。 今月18日、1人息子のみきおさん家族を失った宮沢節子さん(92)に、今の思いを聞きました。 みきおさんの母 宮沢節子さん(92) 「捕まることだけ願ってる。なんでそういうことになったのか、(犯人に)聞きたい」 「分かんないことばっかり」 ◇ 2000年12月31日―― 東京・世田谷区の住宅で、みきおさん(当時44)と妻の泰子さん(当時41)、長女のにいなちゃん(当時8)、長男の礼くん(当時6)の4人が、殺害されているのが見つかりました。 いまも、事件は未解決のままです。 1人で暮らしている節子さん。自宅には、犯人逮捕を23年もの間待ち続ける、節子さんの思いを物語るものがあります。 節子さん 「こうやって、毎日これをずっと、1日1日重ねて。ああ、きょうもダメだなって思って、引くんです。だから、いつになったら、これ引かないで済むかなって」 犯人逮捕の連絡がなかった日に、カレンダーに引き続けている“斜線”……。 節子さん 「今でも(夜の)12時前に寝ることはないですね。その知らせを、待ってるというか」 今年も、4人の命日…12月30日が近づいてきました。 ◇ 節子さんには今年、「事件の風化」をあらためて実感する出来事がありました。 節子さん 「若い子どもたちが入ったというのもね、もしかしたら事件知らないで、お化け屋敷のつもりで入ったんじゃないかと思いましたね」 10月、立ち入り禁止となっていた事件現場の敷地内に、男子高校生およそ10人が侵入。男子高校生らは、「肝試し感覚だった」、「事件現場とは知らなかった」などと話したといいます。 節子さん 「犯人が見つかるまでは忘れないように、若い人たちにも知って欲しいし、年配の方には“忘れないで”と思ってるんですけどね」 事件を風化させてはならない―― 節子さんのために、動き出した人たちがいました。 先月、節子さんの自宅に集まったのは、事件の捜査本部が置かれていた、警視庁・成城警察署の元署長・土田猛さんら5人。この日、一緒にいたのは、劇作家の高橋いさをさんや、劇の俳優たちです。 捜査本部あった成城警察署 元署長 土田猛さん 「今回の『朗読劇』のポスターができたんですよ」 土田さんは警視庁を退職したあとも、節子さんの姿をそばで見続け、節子さんが元気なうちにその思いを形に残したいと「朗読劇」を企画したのです。 劇の脚本と演出を手がける高橋さんの目にとまったのは、冷蔵庫に張られた“あのカレンダー”。 劇作家 高橋いさをさん 「1枚、取ってもいいですか」 節子さん 「今年のなんです、それは。1年分は取ってある」 20年以上、どんな気持ちで斜線を引き続けたのか……。 劇作家 高橋いさをさん 「泣きそうになりましたね……うわぁっと思って。ただのカレンダーなんですけど…やっぱり斜線が引いてあるのを見ると、なんとも言えない…」 ◇ 今月16日、迎えた朗読劇の当日。タイトルは「午前0時のカレンダー」です。東京・世田谷区の会場には節子さんの姿も…。地元の人ら約150人が集まりました。 そして舞台の中央には、斜線が引かれたカレンダーがかけられました。 語り 「ある日の深夜0時」 「その人は、カレンダーに定規を使って斜線を引く」 「それは、楽しい出来事を忘れないための印ではない」 「それは、“きょうも犯人は捕まらなかった”という失望の印である」 節子さんが、息子家族に悲痛な思いを訴える場面も。 節子さん役 「私には、もう時間がないんです。早くあなたたちに、それを報告できる日が来ることを願ってやみません」 なぜ、4人の命は奪われたのか―― 答えがわからないまま過ごす、節子さんの苦悩の日々が描かれていました。劇の終盤、舞台には、幸せな日々を送っていたころの家族写真が映し出されました。 ◇ 今年、92歳になった節子さん。残された時間は長くない、と感じています。 節子さん 「私が生きてる間にっていうかな。(事件が解決したと)みんなに報告したい。頑張ったよっていうふうにね、言いたいんですよね」