10年超の〝駐妻〟経験はブランク? 正社員を諦めない52歳の思い 再就労諦める友人に伝える〝エール〟
夫の海外転勤に帯同し、通算10年超の海外生活。子育てのタイミングも重なり、再就職は困難を極めました。それでも、正社員として働くことを諦めなかった52歳の女性がいます。なぜ働き方にこだわったのか、4年前まで専業主婦だった女性に思いを聞きました。(withnews編集部・金澤ひかり) 【画像】「全部『キャリア』でいいやんな」「動けないときは焦らず…」励まされる元専業主婦の言葉たち
一度目のタイ、帰国後も幼稚園探し難航
現在は東京在住の女性は、夫の海外赴任先のタイに通算10年以上帯同。現地ではボランティア活動をしながら生活し、4年ほど前に帰国しました。 大学卒業後、総合商社で10年間働いていましたが、同期だった夫との結婚と夫の海外赴任が重なり、15年ほど前に退社しました。 1度目のタイでの生活は4年間。現地で娘を授かり、帰国後は幼稚園を探しました。 「働きたい思いはずっと抱えていました。けれど預ける園を探しても、当時はまったく見つかりませんでした」 日本では2016年に、ネットにつづった「保育園落ちた死ね」という母親の叫びが話題になり、待機児童問題がクローズアップされました。 それよりも数年早く預け先を探しており、幼稚園や保育園など、いまよりも未就学児の日中の居場所の整備が不足していた時代でした。 18園ほどに希望を出し、最終的に決まった幼稚園は9時ごろから12時半ごろまでの数時間のみの登園でした。 「いまは働ける状況ではなく、子どもを優先に考えるしかない」と割り切った女性は、「子どもが小学校に入ったら必ず働く」と決めて、家事育児に専念して数年間を過ごしました。
再就職の直後、2度目のタイ
娘が就学した年、「まずは時短から」とIT系の会社に就職。1年後に正社員の道も開けるという条件も魅力的でした。 しかし、またもや夫のタイ赴任が決まります。 「最初のタイは、わくわくもあったのですが、2回目は落胆も大きかった」 正社員としての再就労を目指して一つずつ積み重ねた数年間が、一度の転勤でリスタートの状態に戻ってしまいました。 ただ、女性は「家族が一緒にいることは大事」とも考えていました。夫と小学2年生の娘と共に再度タイへ。娘の中学進学時には帰国することを決めていました。 ビザの関係で収入を得てはいけなかったため、現地の学校で日本語を学ぶ生徒のサポートをするボランティアを続けました。「社会とはつながっていたい」という思いがあったそうです。 渋滞がひどかった交通事情から、娘は午前6時ごろのスクールバスに乗って登校、帰宅は遅いと午後8時になることもありました。 その環境下で「正直、時間をもてあましていた」といい、学校でのボランティアは「居場所」としても、大切な役割を果たしていたそうです。 「日本と関わりを持ちたいと思っている学生と交流できたことは、いまの私の活力にもつながっています」