CRCK/LCKSの脱退騒動、その真相は…小西 遼が明かす「家族感が強まりました」
ポップスバンドになった経緯
音楽の名門、バークリー音楽大学でサックスプレイヤーとして主席相当で卒業した小西がポップスバンドとしてCRCK/LCKSで活動することになった経緯を語った。 タカノ:バリバリのジャズ畑の方だったのが、どうしてポップスバンドを? 小西:そもそもCRCK/LCKSが所属しているAPOLLO SOUNDSのボスである阿部 淳さんという方に、僕がバークリーに行っているころから「小西くん、なにか一緒に仕事しようね」とお声がけいただいていて。そのタイミングで阿部さんはうちのCRCK/LCKSのボーカルの小田と一緒に仕事をしていました。帰国するタイミングで「小西ちょっと、小田と面白いことやってみない? 一夜限りでいいから」と言われて「じゃあせっかくだから小田は歌を歌うし、みんなで曲を持ち寄って一夜限りのバンドを組んでみようよ」という、ただの思いつきというか、本当に一晩のお祭りみたいな感じでした。ベースは一代前になりますがモノンクルの角田隆太と、石若と井上を呼んで「一晩やってみようよ」と言ったら楽しくなっちゃったので、じゃあ本腰を入れていまの日本のポップスというのをしっかり、この形式でやってみるのは面白いのかもしれないと思って。どちらかというとそこからアクセルを踏んでいったような形です。だから「ポップスをやろう」が先にきていませんでした。「面白い面子でなにかやってみようよ」というノリ感だけでスタートしたのが最初でした。 タカノ:そこからポップスというテーマというかコンセプトというか、そこには想いがありますか? 小西:当時のベースの角田を除いて、僕らはいわゆるポップスバンドというか、そもそもバンドみたいなものを組んだ経験がなかったんです。それぞれジャズやクラシックがベーシックにあって。高校のときに軽音でバンドを組むといった経験を長くすることがなかったので、ちょっと初期衝動に立ち返るみたいなのも興味としてみんなあって始まりました。というのと僕個人としては一応ジャズ畑とはいえ、1930年代はジャズがその当時のポピュラーミュージックでした。ジャズはその当時のヒットソング、ミュージカルのヒットソングを取り上げて演奏したりもしていました。いまとなっては別ジャンルに聴こえてはいますが、そもそもは当時のポピュラーミュージックとすごく近しい存在だったジャズ、という感覚が自分のなかにあって。いまのポップスをちゃんと勉強してみたいな、という気持ちもありました。 タカノ:ジャズ畑で培った技術や感性の部分が曲に現れています。僕も初めて聴いたときに「なんだろう? このひと味もふた味も違うようなひねりのある感じ」というところがすごく刺さりました。 小西:ほかのみんなはわかりませんが、僕はひねくれてはいたので(笑)。一筋縄では作らない、というのは当時の自分のなかにはありました。 CRCK/LCKSの最新情報は、公式サイトまで。